「第5回(2013)会合シンポジウム報告」2013年3月23日(土)同志社女子大学 三原 穂

イギリス演劇とリサイクルされるバラッド

バラッドは、演劇というジャンルと結びついてリサイクルされると新たなものに生まれ変わる。バラッドは、オペラやシェイクスピア劇そしてシェイクスピア編集と結びつけられてリサイクルされると、どのような変容を遂げることになるのか、各パネリストが明らかにした。年代順とは逆に、まず三原が18世紀後半のトマス・パーシー、次に上岡が18世紀前半のジョン・ゲイ、最後に喜多野が16~17世紀のウィリアム・シェイクスピアに焦点を当てて、彼らによるバラッドのリサイクルの過程を明らかにした。木田智之氏と木田直子氏のハープ演奏及び台詞つきの歌唱によって、各パネリストの発表に対するオーディエンスの理解が深められた。

三原 穂「シェイクスピア編集とバラッド―トマス・パーシーのバラッド編集にみられる歴史的批評」
18世紀の文学編集で目立つようになっていた歴史的批評によって、当時のバラッド編集がシェイクスピア編集と結びつけられる可能性を明らかにした。トマス・パーシーが編集したバラッド集『古英詩拾遺集』は、過去の著者を彼らの生きた時代の文脈に照らし合わせて歴史的に理解しようとする試み、すなわち歴史的批評の影響を受けたものである。シェイクスピアがその劇作の中で多くの古いバラッドを活用していることに注目したパーシーは、『拾遺集』の第1巻第2編においてシェイクスピア関係のバラッドを特集した。このようにパーシーがシェイクスピアとバラッドとの関係に注目しているのは、直接的にあるいは間接的にシェイクスピアが使用したと推定されるバラッドを調査して、それを歴史的資料として使うことでシェイクスピアの歴史的理解を深めるためであった。

『拾遺集』のシェイクスピア関係のバラッド(「コフェチュア王と乞食娘」、「アダム・べル、クラフのクリムとクラウデズリーのウィリアム」、「古い外套を身にまとって」)とシェイクスピア作品の版本(クォート本、フォリオ本そして18世紀のシェイクスピア全集)からの『ロミオとジュリエット』と『オセロ』における該当箇所を比較照合することによって、パーシーがシェイクスピア編集者に歴史的批評の点で影響を与えた可能性を示した。パーシーはバラッドをシェイクスピアの歴史的理解のために必要な歴史的資料として提示し、シェイクスピア編集者たちはこれに肯定的に反応したということである。

18世紀には価値のないものとして蔑視されていたバラッドは、シェイクスピア編集と結びつくことによって、貴重な歴史的資料としてリサイクルされうることをパーシーは証明しようとしたのである。

質疑応答 特にフロアから本発表に対する質問は出なかった。しかし発表の後で山中光義先生から以下のようなご指摘をいただいたので紹介しておきたい。パーシーがシェイクピア関係のバラッドを『拾遺集』で扱ったのは、シェイクスピアを理解するための歴史的資料としてそのバラッドを提示するためであったという本発表の主張にもかかわらず、パーシーは同時にシェイクスピア関係のバラッドに現代風洗練のための修正を施している。これはどういうことなのかというご指摘である。この修正は、パーシー自らの想像力に基づいてシェイクスピアの元々の意図を復興させようとするためにパーシーが施したものではないかとお答えしたのであるが、これはあまりよい答えではなかった。パーシーは常に自分自身を学者とみなすと同時に詩人としてもみなしており、この揺れ、葛藤が彼の文学活動に影響を及ぼした。したがって、このケースもこの葛藤の表れと説明できるのではないかと思われる。

23 M 2013

上岡サト子 「オペラとバラッドの融合――John GayのThe Beggar’s Operaの場合」   

資料の説明→オペラの「あらすじ」 紹介→BBC制作のDVD:The Beggar’s Operaの紹介(主に主人公がGreensleevesの曲に合わせて歌う場面)。 →口頭説明の順で当日の発表を進めた。

イギリスにはシェイクスピア以来の演劇の伝統もあり、豊かな言語芸術が蓄積されていたことは自明のことで、一時期中断していた演劇活動も、王政復古以来、“Restoration Drama”と呼ばれる一連の作品も公開され、にわかに活況を呈し始めていた。

イタリア・オペラが上流階級の人々に歓迎され、音楽界の巨匠ヘンデルが活躍していたのもこの時期で、しかしイタリア・オペラは、言葉が理解できないに始まって、イギリス人にとってあまり馴染みのない舞台芸術であった。John Dennis, Jonathan Swift, Samuel Johnson, Alexander Pope 他、当時の知識人はそうした違和感を隠そうとはせず、自前のオペラ制作に乗り出してゆく。彼らの支援を得て詩人John Gay(1685~1732)は、英語によるオペラを完成、1728年、その初演に成功する。本発表はその成功の要因を探ることを目的としている。

音源の確保 
現在の視点から見て、このオペラ制作の問題点は音楽にあったように思われる。音源をどこから持ってくるか。歌曲69曲中22曲は、当時の15人の作曲家の作品で、他の47曲は伝承バラッド、ブロードサイド・バラッド、当時のポピュラーソング、レストレイション劇から曲を取っている。大半の歌曲はバラッドの〝リサイクル“である。 

レチタティーヴォ(叙唱部)の廃止 
レチタティーヴォを廃止することによって歌曲と劇中セリフとが分離されることになった。この分離の効果は大きく、演劇に劣らず台詞がかなりのウエートを占めていた。Gayの基本的な思考の柱、Swift譲りのsatiric, 自らの詩の源泉である田園とそこに価値を置くpastoral, バーレスク劇の本質的要素farcicalの3つの要素は充分に反映されることになった。彼を支援する知識人と価値観を同じくし、Gayは人道主義者で社会の不公平、政治家の汚職、腐敗、富の分配の不平等に怒りを持ち、役者に代弁させている。

B.H. Bronsonはこの作品が当時圧倒的に歓迎された理由の一つに政治的な批判、特に当時の首相ウォルポールへの批判が込められていた点を指摘している。パロディー化されたキャラクターのセリフが決めてで、観客の理解と笑いを醸成することができた。

常識の打破  
John Gayは常識にとらわれず、王侯、貴族などの物語は非現実として排除し、登場人物は罪人や売春婦などが舞台で活躍する破天荒なプロットを採用したことがあげられる。オペラが上流階級の娯楽から中産階級など庶民の娯楽に発展させる下地となった。ミュージカルの誕生とも言われている。

John Gayの作詞法 
Gayは作詞にあたって、バラッドの有機的な一部分であるリフレインや章句の反復、言葉や文の借用、あるいは別の言葉のはめ込みなどを行って、バラッド詩の特徴を自らの作詞に利用している。対比的表現、類似的語句のリフレイン他。

バラッドの蒐集 
Gayのバラッドとの係り、その関係性を探るにあたって、Thomas D’Urfey (Tom Durfey) (1653~1723) に注目したい。Thomas D’UrfeyはGayの音楽、作詞面で多大な貢献をしている。このオペラには、彼の作品が3曲採用されている。しかし、特にここで取り上げるのは、彼がまたバラッドの収集家であった点である。1698~1720年の間に集めたバラッドと彼自身の作品集はPills to Purge Melancholy6巻に収録されている。こうした多才な収集家と接点を持つことによって、Gayはバラッドに精通し、オペラという芸術形式に挑み、文学と音楽(バラッド)を融合させることにも成功したと言える。

質問:ジョン・ゲイの『バラッド・オペラ』にはいろいろな版(楽譜のみがついているものや楽譜と歌詞がついているもの)があると思うが、どの版をもとに発表したのか? 
答え: Edgar V. Robert, ed., The Beggar’s Opera (Edward Arnold, 1967), the second authorized editionが今回使用のテクストで、Restoration Drama Seriesの一つとして出版されたもので、歌詞と楽譜が添付されている。上記の本は17世紀、18世紀のauthorized editionに基づくが、スペリングなど若干の修正を施していると書かれている。ちなみに、このオペラの日本語訳者、海保眞夫は、John Fuller (ed.), John Gay: Dramatic Works(Oxford,1983)を使用。これには楽譜は付されていないと記述されている。 
その原本となるものの成立経緯の概略は以下のようである。 
1.Gayは1728年、2月6日に版権をJohn Wattsに売却した。Wattsが同年2月14日に出版したが、この版には銅版による楽譜と歌詞が巻末に別々に添付されていた。これがO1といわれるものである。 
2.Wattsは同年4月9日に第2版(the second authorized edition)を出版した。観衆が楽譜と歌詞が一体となった版を望んでいた事情から、この版には木版の楽譜と歌詞が添付されていた。この版がO2と言われるものである。 
3.Gayの生存中に出た最後の版は、1729年に出版されたもので、これには銅板で印刷された楽譜の下に歌詞が添付されていた。これがQと言われている版である。

喜多野裕子 「シェイクスピア劇とバラッド―"Willow Song"を中心に」 
本発表では初期近代イングランドにおける演劇とバラッドの相互関連性を素地とし、William Shakespeare (1564-1616)作Othello (1600-04)4幕3場においてデズデモーナが"Willow Song"を歌うシーンの劇的機能を考察した。発表に先立ち、本発表におけるバラッドの定義と、当時のブロードサイド・バラッドの流通と社会への浸透状況について、"oral culture"と"written text"の両側面から確認した。

本論においては、まず"willow"の嘆きを歌う行為が報われない恋の象徴であることは、当時の人々にとって階級を越えた共通理解であったこと、そして"willow"の嘆きの歌の各種ヴァージョンは、宮廷での歌唱やリュート曲、読み物として詩のアンソロジーや散文による労働者の生活の活写、さらには劇中歌に登場し、その内容や役割、機能もさまざまであることから、貴族から労働者階級の日常にまで広く浸透していたと考えられることを例証した。

次に"Willow Song"とその材源であるブロードサイド・バラッド"A Louers complaint being forsaken of his Loue."(以下「恋人の嘆き」と略)を比較した。シェイクスピアは、夫に絞殺される直前に妻が口ずさむ歌としてこのバラッドを採択するにあたり、いくつかの改変を加えているが、本発表では男性の歌である「恋人の嘆き」を女性の歌に変えている点に絞った。

"Willow Song"の劇的機能としては、第一に、Bruce Smithによるシェイクスピア劇におけるバラッドの観客への効果についての論を援用し、観客がそれぞれの記憶の中に既存のバラッドと結びつけて保有している寂寥感を一つにまとめ上げ、共有する効果があることを指摘した。第二に、「恋人の嘆き」は不実な女性に裏切られた男性の嘆きの歌であり、主人公オセローの心的情景と対応していることから、"Willow Song"には、複数の主体の感情が混在しており、歌を使用することで複合的な悲嘆の伝達が可能になることを指摘した。

質問: weeping willowというフレーズからわかるように、柳といえば悲しみと結びつくのが当たり前になっているが、それはなぜなのか。例えば日本では柳は幽霊等との結びつきが強い。悲しみと柳との結びつきは英国独特のものなのか? 
答え:初期近代イングランドにおいてはすでに「柳」と「悲嘆」は深く結びつけられていた。この象徴性の起源は不明であるが、ブロードサイド・バラッド「恋人の嘆き」について、ジョン・ケリガンは旧約聖書の詩篇137との関連を指摘している。 この中には、バビロン捕囚時代のユダヤ人たちが河のほとりで祖国イスラエルを想って涙していると、バビロンの者たちがイスラエルの歌を歌ってみよ、と強要するが、竪琴を河のほとりに生えている柳の木に架けて祖国の歌を歌うことを拒否する、というくだりがある。その河のほとりに柳があり、祖国を想い涙する情景から、いつしか、報われない恋の象徴を柳が担うようになっていった可能性はあるかもしれない。

また、シンポジウム終了後、吉賀憲夫先生から、中国にも柳は人との別れを象徴する文化があるとご教示いただいた。柳の種類は多いが、アジア原産であることを考えると「柳」に「悲しみ」を読み込むのは、もともとは東洋的なイメージなのかもしれない。

♪木田智之氏、木田直子氏による演奏と歌唱について♪ 
1.Willow Song①-歌:木田直子、 ゴシックハープ演奏・編曲:木田智之  
*主旋律はThe Lodge Lute Book(1559-ca. 1575)を基にDuffinがアレンジしたもの。 Shakespeare's Songbook(by Ross Duffin)に譜面、歌詞掲載。

2.Willow Song②-歌・台詞:木田直子、 ゴシックハープ演奏・編曲:木田智之  
Othello 第4幕第3場より。主旋律はBL15117に拠る。

3.Greensleeves①-ハープ弾語り・編曲:木田直子、 リコーダ:木田智之 
*歌詞は"A New Courtly Sonet, of the Lady Greensleeves"(1584)より。Shakespeare's Songbook(by Ross Duffin)に譜面、歌詞掲載。
Greensleeves②-器楽バージョン―リコーダ・編曲:木田智之、ハープ伴奏:木田直子 
*リコーダのヴァリエーションは”The Division Flute” (1708, England) からの抜粋。
Greensleeves③-歌・編曲:木田智之、ハープ伴奏・コーラス:木田直子