高松晃子『スコットランド 旅する人々と音楽―「わたし」を証明する歌』音楽之友社、1999年。 

 

本書は、民族音楽研究者である著者が、スコットランドでのフィールドワークを基に流浪民であるトラヴェラーたちの社会構造と「歌」との複雑な関係を、そしてこの伝統音楽にまつわるフォーク・ミュージック・リヴァイバルと呼ばれる運動と、それに伴うトラヴェラーたちの社会構造や価値観の変容と現状とを非常にわかりやすく分析・解説したものである。 

まず第1章では、スコットランドを知らない人のために、その地理的、歴史的、文化的背景についての短い予備知識が与えられる。そして第2章では、スコットランドの歌とダンスに焦点を当て、音楽学的立場から比較的簡単にスコットランドの歌を聞き分けるコツが紹介される。そして、バラッド、ジャコバイト・ソング、ナショナル・ソング、ボシー・バラッド、労働歌といった歌が種類別に解説され、その後、スコットランドのダンスとしてハイランド・ダンスとカントリー・ダンスの背景と特徴が、ダンス音楽としてリール、ジグ、ストラスペイが紹介される。

本書の醍醐味は、―伝統の担い手「トラヴェラー」―と題された第3章にある。著者はまず、トラヴェラーたちが伝統的な社会を維持するための独自の価値観として「同じ名字集団の同質性」、「名字集団間の異質性」、そして「それを支える平等の精神」の三つを挙げ、次のようにトラヴェラーを定義する。 

「放浪鋳かけ屋という共通の祖先を持つと信じていること、流浪という独特の生活様式を持っていたこと、血縁の原則という集団参入の条件があること、内婚によりトラヴェラー集団としての結束が強化されること、そして、トラヴェラー集団の内部では、血縁の原則により成立した名字集団が、たえず同質性と差異というふるいにかけられながら独自の価値観を生み出し、それを伝えてきたことなどをよりどころとして、彼らは非トラヴェラーとは一線を画す存在になっているのである。」(115) 

そして、この同族意識の強い社会を支えていたものが「歌」であり「バラッド」であり、それを確認する場が「ケイリー」と呼ばれる宴会の場であるという。著者はトラヴェラーたちへのインタビューや彼らと過ごした経験から、トラヴェラーにとって「わたし」を証明する歌を習得して実際に歌うことは、歌を聞き覚えることとは異なる行為であると分析する。歌のレパートリーにもランク付けがなされており、どこでどういう人々に向けて歌うかは各々が心得ているそうだ。つまり、自他のヴァージョン間を比較することで歌の様式を基に横の系譜が構成されるのである。

また、歌が「わたし」と祖先を結ぶ見えない絆であり、「ケイリーにおけるトラヴェラーたちは、他人の歌を聞きながらよその名字集団に属する他者の存在を知るだけでなく、自分の家の歌を歌うことによって、その家に属する自己の存在を外部に知らしめ、互いの居場所を確認する。」(141) そして、このアイデンティティーの確認作業により、歌によって呼び戻された祖先も含めた縦横の関係が再構成されていく。そんな中、バラッドにおけるリフレイン部分をみんなで歌うことは、トラヴェラーとしての一体感を味わう機会を提供しているのだという。もちろんこのような構図は理想を図式化した理念型、建前としての構造に過ぎないということは著者も十分承知している。 

このようなトラヴェラー社会における独特な伝統的価値観とそれを支えていた「歌」がフォーク・ミュージック・リヴァイバルをきっかけに変化することになる。つまり、トラヴェラー社会とは違う価値観を持つ聴衆を相手にすることで、トラヴェラーたちは今までの歌い方とは違うスタイルを要求され、歌離れが進む一方、彼らの音楽観、歌が持っていた社会的役割、ひいては彼らの社会構造そのものにまで変化が及び、著者はこの影響関係まで踏み込んでその変化を考察している。 

本書は、トラヴェラーという独特の価値観を持つ一社会集団に実際に身を置き、情報を収集し、その社会における「バラッド」及び「歌」の持つ社会的役割を考察しているが、自身の貴重な経験を交えながら、この無形の伝統である歌という難しくやっかいだと思われる題材を一般読者にもわかりやすいように丁寧に解説してくれる。スコットランドの伝統とその音楽に興味のある者にとっては必読の書であろう。