バラッドの音楽<「第4回(2012)会合シンポジウム報告」2012年3月24日(土)聖徳大学> 高松 晃子

2012 シンポジウム伝承の過程でさまざまに姿を変えながら、ダイナミックに生き延びてきたバラッドの音楽に、伝承・移動・変化といった側面からアプローチを試みたシンポジウム。

高松晃子「バラッドの伝承―空間の移動と変容する音楽について」: はじめに、バラッド音楽のダイナミズムを概観してみたい。キーワードは、「移動」と「変容」である。

音楽は根源的にコミュニケーション・ツールとしての性格をもっている。したがって、人に伝達されることで初めて意味を持つと考えることができる。音 楽の伝達形態について、いくつかの場合を想定してみよう。まず、もっとも単純なのは、人から人へ、対面で伝えられる場合である。歌い手から聞き手へと、音 楽は移動する。音楽は、より大規模に移動することもできる。たとえば、アイルランドのハープ奏者や移民のような「運び手」が仲介することによって、書物や 楽譜の出版によって、録音とその流通によって、さらにはインターネットによって、音楽はさまざまな境界を瞬時にして越えることができるのである。

これらの伝達形態はそれぞれ、伝達の方法や伝達される内容、速度や規模において特徴がある。まず、伝達の方法については、口頭伝承と書記伝承という 大きな分類ができる。口頭伝承をさらに細かく分類すると、第一次口頭伝承と第二次口頭伝承に分けることができる。第一次口頭伝承の特徴は「いまここ」であ り、伝承範囲が狭く、正確な伝承や記憶には手間ひまがかかる反面、記憶が長続きすること、音楽を様式として理解できることが大きな長所である。いっぽう、 「いつでもどこでも」を特徴とする第二次口頭伝承においては、伝承範囲が広く誰でも学ぶことができるのが利点だが、伝承の地域性が失われ、音楽様式的にふ さわしい演奏作法が充分に伝わらないうらみがある。さらに、書記伝承について言えば、テクストとして言葉や音楽を固定することで変容を抑制できるのは大き な強みだが、そこに固定されたものは数限りないパフォーマンスのうちのただ1回の姿にすぎない。また、固定されることで、音楽特有の自由闊達なふるまいま でも抑制されてしまうことを、考慮する必要がある。

本発表では、音源を提示しながら上の諸形態を整理し、音楽の伝承と越境、固定と変化を議論するための布石とした。

寺本圭佑「バラッドの作者および伝承媒体としてのハープ奏者―《アイリーン・アルーン》を例に―」: アイルランド起源のバラッド《アイリーン・アルーン Eibhlín a rún》は、オダリー Cearbhall Ó Dálaigh というハープ奏者と関連付けられてきた。多くの伝承が残されているが、18世紀の盲目のストーリー・テラーが伝えたヴァージョンがよく知られている。要約 すると次のような内容である。「オダリーにはアイリーンという婚約者がいたが、諸事情で彼女は別の男と結婚することになった。式場に変装したオダリーが現 れ、おもむろに≪アイリーン・アルーン」をハープの伴奏で歌い、アイリーンを連れて駆け落ちした」。

オダリーがいつ頃活躍していたのか、また実在の人物だったのかさえ定かではない。だが、18世紀に入ると、少しずつ伝承の状況をたどることができる ようになる。たとえば、1702年頃にハープ奏者ライオンズ Cornelius Lyons (c.1680?-c.1750?) が、このバラッドの変奏曲を作曲したとされる。その楽譜資料は現存しないが、彼は二人の盲目のハープ奏者にこの曲を伝授していた。彼らの演奏を採譜した楽 譜資料が現存しているため、そこからライオンズの編曲を推測することができる。ここで注目すべきは、ライオンズが18世紀のヨーロッパで流行する「変奏 曲」の形式を、伝統音楽に取り入れていたことであろう。

18世紀のアイルランドは、英国による植民地化が徹底された時代だった。ダブリンには次々と劇場が建てられ、いわゆる「クラシック音楽」が流入して いた。それに伴い聴衆の趣味が変化したことで、伝統的なハープ音楽は相対的に下火になっていった。時代の変化に適応するために、カロラン Turlough O’Carolan (1670-1738) がバロック音楽を取り入れた作曲を行い、成功を収めたことは周知の事実である。

他方で、ライオンズは《アイリーン・アルーン》の変奏曲を作曲し、伝統音楽を当時の聴衆の趣味に適合させることで、ハープ音楽を活性化させる方法を 模索していた。《アイリーン・アルーン》は元々アイルランド語で歌われるバラッドだった。だが、ライオンズが変奏曲を書き、「バラッドの器楽化」を実施し たことで、英語しか理解できない植民者にも親しまれる音楽へと生まれ変わったのである。

事実、ライオンズが変奏曲を書いた後、このバラッドの曲はクラシック音楽に積極的に取り入れられるようになった。たとえば、バラッド・オペラで用い られるようになり、ヴァイオリンによる変奏曲が書かれ、その印刷楽譜が出版された。以後この曲はハープ奏者の手を離れて人口に膾炙するようになり、19世 紀にはムーア Thomas Moore (1779-1852) やバーンズ Robert Burns (1759-1796) らによって新しい歌詞が付けられて親しまれるようになった。

アイルランド土着のバラッドが、クラシック音楽という異質の文化に取り入れられる過程に着目すると、その橋渡し役をしたハープ奏者の存在を無視することはできない。彼らはバラッドの源泉であり、それを伝承させる媒体としても機能していたのである。

石嶺麻紀「Child Ballad 012:Lord Rendalの40種の音源の分類とLord Rendalから派生した童謡、Billy Boyにおける現代家庭内伝承について」
調査方法:日本バラッド協会のホームページのリンク集(www.j-ballad.com/link/154-2008-09-16-05-51-55.html) にあるリンク先 The Child Ballad Collectionをもとに、曲名がLord Rendalとほぼ同じもの(Lord RonaldLord RandalLord Randal, My SonLord RandolphO Where Hae You Been, Lord Ranald, My Son?など含む)のみを抽出し、順に音源収集を試みる。173曲中収集できたものは40曲、それらのメロディをヴァージョンごとに区分する(今回、歌詞については調査の対象としない)。区分ごとに数の集計、曲の特徴、サウンドの変化(年代別の特徴)などを考察した。

1. 独立バージョン: ここで紹介する独立バージョンはそれぞれ全く違うメロディをもっており、録音音源として1曲ずつしか収集できなかったものである。即ち、収集不可能だった 録音音源の中にも、おそらく独立ヴァージョンは多数存在すると推測され、さらに、録音として現在に残っていないものにまで考えを及ぼすとき、Lord Rendalのイギリスでの伝承歌としてのヴァージョン数は計り知れないのではないだろうか。同じ物語に対し無数のメロディという構図は、歌としての生命力は物語(歌詞)の方にあると考えられる。

2.録音伝承バージョン: 第二次世界大戦中、空襲に苦しめられる都市部の人々とそれを支えようとする農村部の人々の「仲間意識を築くため」にBBCラジオで「カントリー・マガジ ン」という番組が始まる。このラジオ番組によるフィールド録音が、第2次フォークリヴァイヴァルの始まりである。伝承歌の卓越した歌い手たちは、やがてラ ジオ、テレビ、パブなどで活躍するようになり、職業歌手になってゆく。そしてレコード産業の強大化とともに、彼ら、バラッドシンガーの録音が増加してゆく のである。彼らによって歌われた迫力あるLord Rendalの録音が登場すると、それらはその後のミュージシャンに影響を与え、同 じメロディに異なるサウンドという形での録音伝承が始まる。ある意味で、ここからがバラッドのポピュラー音楽(ポップス)化の始まりではないだろうか。ポ ピュラー音楽においては、サウンドは時代性を帯びて変化してゆくもので、それはバラッドも決して例外ではないのである。ここでは、特にEwan MacCollヴァージョンとMartin Carthyヴァージョンについてまとめた。

3.「クラシック」ヴァージョン:クラシック歌手がLord Rendalを歌う場合、メロディヴァージョンはほぼ一つである。クラシック音楽であるゆえ、譜面による伝承と考える事が妥当だろう。クラシックヴァージョンのメロディは他のLord Rendalのメロディに比べ、音楽的物語性が最も明確であり、また劇的でもあり、クラシック音楽のために作曲されたのではないかとの推測もできる。メロディの特徴を分析するとともに、その楽曲起源をできるだけ辿ってみた。

4.Billy Boyにおける現代家庭内伝承:Martin Carthyと、同じくバラッドシンガーであるNorma Watersonの間に1975年に生まれた娘のEliza Carthy は、1990年にデビューし、精力的に活動を続ける若手バラッドシンガーであり、フィドラーである。現在イギリスでは、音楽大学でのバラッドの教育もあ り、音大出身の若いバラッドシンガーは増えていると聞く。そんな中で両親とも有名なバラッドシンガーで、その家庭内での伝承を受けて活躍しているのは Eliza Carthyのみかもしれない。ここでは、父であるMartin Carthyと娘のEliza Carthy双方が歌ったBilly Boyを比較して、バラッドの現代の家庭内伝承について考察した。

質疑応答

木村啓子: 私が専攻していた美術史のカテゴリーを思い出した。美術史では、様式をとらえるときに、時代様式、地域様式、個人様式の3つの観点を用いる。個人様式は、 近代に近づくほどクリアに現れる。バラッドの歌唱様式についても、美術史の観点を用いることが可能かと思い、興味深く聞いた。

高松晃子: 個人様式についてだが、同じ個人でも、誰がどのような場で、誰に対して歌ってみせるのか、という点でずいぶん操作が働くと思う。たとえば、イライザにして も、家で家族と一緒に歌っているときには違う歌い方をする可能性がある。パブリックな場で歌ったりレコーディングをしたりするときには、彼女がプロとして 聞いてほしいと思う要素を打ち出してくるだろう。

石嶺麻紀:私の発表の中で、マッコールに続く5人は無伴奏で歌っていたが、拍の取り方やリズムの感じ方などがみな違う。無伴奏で歌うと、より個人様式を出しやすいかもしれない。

かんのみすず: イライザがウォーターソンズ・ファミリーとして歌っているDVDを見ると、さきほどのCDと違ってとても古典的な歌い方をしている。それはファミリーで やっているからだろう。けれども、CD化するときにはそれだと作品として成り立たないという考えが、彼女にはあると思われる。また、無伴奏なら一定のリズ ムがないかというとそうでもなく、やはり、曲によって違うのではないだろうか。

石嶺麻紀:そのとおりだ。無拍の音楽と言われるものにも大きな拍感がある。私が今回の発表で「拍」という時には、狭い意味での拍を考えた。

高松晃子:テンポ感とか拍感といったものは、楽譜がある場合も気をつけなければいけない要素だ。演奏者はいつも「ここはゆらしてもよい」とか「ここはきっちり演奏する」といった判断をしている。

寺本圭佑: 今日は時間の関係でお見せできなかったが、バンティングというクラシックの音楽家が、ヘンプソンというハープ奏者の演奏を書き取った楽譜がある。それに は、「拍が間違っている」という但し書きがたくさんあるのだが、ハープ奏者はそれをわかってやっている。今では古い様式を知っている人が少ないので、それ が彼の個人様式かどうかまではわからないが、いわゆる西洋音楽的な観点からは間違っていると言われそうな拍の揺らし方は、みなやっていたようだ。

三原 穂: 変奏曲を作るときに重視するのはオリジナリティかオリジンか、という選択肢がある。たとえば、パガニーニの主題による変奏曲は、ラフマニノフ、ブラーム ス、リストなどが書いているが、ラフマニノフは原型がわからないほど変奏している。18世紀のハープ奏者の場合はどちらだったのか。

寺本圭佑:18 世紀前半のライオンズの時代までは、新しい技法をどんどん取り入れてオリジナリティを誇示するような様式を用いていた。しかし、そのあとのオカハンやヘン プソンの時代になると、ハープ音楽自体が衰退していく。すると、古い音楽をとどめることが大事になってきて、自分は古いものを知っているとアピール[つま りオリジン重視]するようになった。

福吉瑛子:ユワン・マッコールの演奏などを聞くと、どうしても少し違和感を覚えてしまう。学生に聞かせると音痴だとか、退屈だとかいう反応も返ってくる。聞いていた現地の人たちは、自分にフィットするという感覚があったのだろうか。

石嶺麻紀: マッコールが《ロード・ランダル》を学んだのは母親からで、その母親は、ある地域グループで伝承され、一定の評価を得たものを学んだ。私たちにとっては ちょっと耳慣れない感じがしても、それが伝えられてきたところでは、この歌い方を皆で楽しみ、定着させてきたものだと思う。

福吉瑛子:今日の楽譜を見れば、マッコールのように、だれでもいつも同じように歌えるんでしょうか?

石嶺麻紀:それはわからない。この楽譜も、どこかにあるものではなく私が採譜したものだ。ただ、楽譜を見ればマッコールのように歌えるかというとそうではないと思う。ある程度内容を理解していないと、いくら表情をつけようと思ってもつけきれないので。

高松晃子: 今の問題は私がいつも直面していることだ。民族音楽学を教えていると、わからない音楽だらけなので学生は引く。でも、少し様式感を身につけることで、少し ずつわかってくる。いつも基準が西洋音楽のものさしだと、ずっと気持ちが悪いまま。様式感をまるごと変える練習をすると、新しいものに出会ったときにびっ くりしなくなる。

全体に関して: 今回のシンポジウムでは、個人や地域、時代の様式の問題や、現在、そしてこれからもバラッドを歌い継いでいくときの、歌い手や聴き手のアイデンティティの 問題などについて、議論を深めることができた。バラッドの音楽を考えるにはさまざまな切り口が考えられるので、また時と場所をあらためて議論を継続してい きたい。

(なお、各講師の詳細な発表内容については、独立した「研究ノート」の形で掲載されている。)