'The Three Ravens'と'La Belle Dame sans Merci' ―鳥をめぐるバラッドの世界―(その1)

Maureen N. McLaneはBalladeering, Minstrelsy, and the Making of British Romantic Poetry1で 伝承バラッドの ‘The Three Ravens’の系譜を示し、キーツの ‘La Belle Dame sans Merci’をこの系譜に加えている。カラスが登場しないキーツの作品が何故この系譜の中に加えられているのか、その理由を考えることで、キーツが伝承バ ラッドから何を変化させ、何を継承したのかが見えてくる。

マックレーンはキーツの作品を「三羽のカラス」の系譜に加える理由として、「三羽のカラス」では死んだ騎士について鳥が歌い、「つれなき美女」では死なない騎士について鳥が歌わないという構造上の対称性を上げている。

伝承バラッド「三羽のカラス」では、三羽のカラスが野で死んだ騎士や、犬、鷹、恋人について歌うのに対して、キーツの作品では“no birds sing”と描かれ、鳥は歌わない。このフレーズはスゲも枯れ、生きるものがいないわびしい湖畔の状況を表すのみのようにも思われるが、バラッドの系譜の 中においてみるとこの一節はまた別の意味を持ってくる。キーツがこの作品をバラッド詩として書き、同時に“no birds sing”と書いた時、彼には何らかの意図があったのだろう。伝承バラッドでは人間の言葉を語る鳥や動物がしばしば登場し、特定の役割を担っているからで ある。

では鳥は伝承バラッドの中でどのような役割を担っているのだろうか。大まかにまとめると、伝承バラッドでの「鳥」の位置付けは人知が及ばぬものを知るもの、真実を語るもの、人の生死に深くかかわるものといえる。

人知が及ばぬものを知る鳥の姿の例としては、 ‘Lady Isabel and the Elf-knight’ (Child 4C, D, E, F, G)、 ‘The Broomfield Hill’ (Child 43)、  ‘The Carnal and the Crane’ (Child 55)、 ‘Young Hunting’(Child 68)、 ‘The Bonny Birdy’ (Child 82)に登場する鳥が、真実を語るものとしては、 ‘The Gay Goshawk’ (Child 96A)、 ‘Johnie Cook’ (Child 114B, F)、 ‘Lord William, or Lord Lundy’ (Child 254)、 ‘The Earl of Mar’s Daughter’, (Child 270)が、人の生死に立ち会うもの、深くかかわるものとしては、 ‘Lady Isabel and the Elf-knight’ (Child4)、‘Young Hunting’ (Child 68)、 ‘Alison and Willie’ (Child 256)があげられる。

キーツ作品にも伝承バラッドと同じように鳥に生死のイメージが結び付けられている例がある。 ‘Isabella; or The Pot of Basil’ではイザベラが殺された恋人のロレンツォの首を抱く姿が卵を抱く鳥にたとえられる。卵を抱く鳥は命の誕生を象徴するが、ここで抱かれているの は死人の首で、この鳥の中に死と生のイメージは重なりあう。これはこの首の上に植えられたバジルが美しく育っていく作品全体のイメージに合致する。また ‘Ode to a Nightingale’では、ナイチンゲールは‘immortal Bird’と呼ばれ、時間を超越した存在とされる。このナイチンゲールが歌うのは、聖なる真実の歌、たえなる瞑想の歌、天国の物語と黄金の歴史と神秘であ る。この特徴は伝承バラッドで見られる真実を語る鳥の姿と重なる。さらにナイチンゲールは、舌を切られた女性が姿を変えた鳥とされ、「真実を語りたくても 語れない」という性格が付随する。 ‘The Eve of St. Agnes’ではマデラインが舌のないナイチンゲールにたとえられ、声には出せない思いが、胸の内で膨れ上がる様子がナイチンゲールの姿に重ねられてい る。

伝承バラッドとキーツの作品が持つ鳥のイメージを整理してみると「つれなき美女」でキーツが鳥に歌わせないことによって何を排除しようとしたのかが 見えてくる。まず伝承バラッドや『イザベラ』の鳥に象徴される「生死」のイメージである。キーツはこの作品の騎士を生と死どちらのイメージにも傾かないよ うに配慮し、作品をキーツに特徴的な物事が解決する直前のあいまいな状態に保つように工夫をしている。さらに「つれなき美女」の世界は「ナイチンゲールの オード」のナイチンゲールに象徴される時の流れも拒否する。「ナイチンゲールのオード」の鳥は ‘Immortal Bird’で時を超越した存在ではあるが、この鳥の歌が「古の支配者やルツの耳にも聞こえた」と歌われることによってこの鳥の中を通り過ぎる時の流れは強 く意識される。一方、「つれなき美女」は冒頭連のフレーズが最終連で繰り返されることによって、一つの大きな円を描く構造になっている。質問者の問いは解 決されることなく何度でも繰り返され、騎士は同じ世界を生きるでも死ぬでもなくさまよい続ける。その世界は批評家パターソンが「恐るべき静止」と評した不 安定な静止状態である。2 この静止状態の中で繰り返し歌を歌うのは、鳥ではなく、騎士自身である。つまり「つれなき美女」には人知を超えた視点が存在しない。「三羽のカラス」の騎 士の頭上高くにいる鳥の視野の広さは人間の及ぶものではない。これとは対照的に、キーツの作品での騎士の視点は騎士しか知りえない彼の内面にとどまる。も はやそこに 伝承バラッドの鳥が入る余地はない。なぜならば、騎士には思いを伝えるべき他者が存在しないからだ。「つれなき美女」に唯一現れる他者は冒頭の質問者であ る。この質問者が発する質問は最終場面で騎士によって繰り返される。それによってこの作品は円環となるが、この最終連によって騎士の世界が閉じたとき、質 問者はもはや騎士から完全に切り離された他者としては存在していない。すなわちこの作品中には完全なる他者は存在しておらず、騎士は真実の思いを人に伝え る鳥を必要としていない。

キーツが描いた「鳥が歌わないバラッド」の世界とは生死のはざまにとどまる外界から遮断され、時の止まった内面世界である。これは伝承バラッドでは 語られることのなかった世界である。伝承バラッドの世界では、亡霊が生きた者と同じく肉体を持ったり、生きている人と語り合ったりはするが、死んでいるこ とに変わりはなく、キーツのような「死なない人間」は存在しない。また伝承バラッドではもっぱら行動が描かれ、個人的な感情や内面的な描写は一切排除され る非個性、没個性が大きな特徴である。キーツの作品を 「三羽のカラス」の系譜に組み入れて考える時、キーツは伝承バラッドで排除されてきた非常に個人的な内面世界の描写を新たにバラッドの世界に取り入れたと いうことができる。

1.    Maureen N. McLane, Balladeering, Minstrelsy, and the Making of British Romantic Poetry (Cambridge UP, 2008) 253-70.
2.    Charles I. Patterson, Jr., The Daemonic in the Poetry of John Keats (Urbana: U of Illinois P, 1970) 139.