P. B. Shelleyの小説―St. Irvyne の背景を探って―

Percy Bysshe Shelley (1792-1822)はその詩作品は多くの人に読まれているが、彼の書いた小説はあまりよく知られていない。彼は10代の頃に2つの小説を書いて出版している。1810年、Etonの学生だった時に出版された1作目のZastrozzi, a Romanceは冒頭からZastrozziがVerezziという男を監禁拷問するという場面で始まり、MatildaやJuliaという女性も加わりZastrozziが母親の復讐を果たすというゴシック小説である。2作目が1811年出版のSt. Irvyne; or the Rosicrucian: a Romanceである。(1) この頃はOxford大学に入学しており、作者名は“a Gentleman of the University of Oxford”と伏せられていた。この作品もゴシック小説だがZastrozziの復讐劇とは違い、不死や知識を求めての悪魔との契約や神への不敬などが描かれている。

この両者の構成上の大きな違いは小説にシェリー作の詩が挿入されているかどうかという点である。Zastrozziにも表紙にはParadise Lost II.368-71が記されており、エピグラフとしてMacbeth I.vii 39-44、I.v.45-50(Chapts. 9 and 15)、ScottのLay of the Last Minstrel III.ii.7(Chap.9)、Marmion III. xiii. 3-4 (Chap.16)、ThomsonのSeasons: Spring, 990-92 (Chap.13)、HoraceのOdes III.iii.7-8 (Chap.17)が使われている。しかし、小説の本文中に詩は挿入されておらず、またシェリーが書いた詩も使われてはいない。一方でSt. Irvyneでは、Paradise Lost II. 681-83(Chap.3)とLay of the Last Minstrel III.ii.7(Chap.12)がエピグラフとして使われてはいるが、他の章では自身作のThe Wandering Jewな どがエピグラフとして書かれている。また5編の詩が本文中に挿入されている。登場人物が自分の心情を表現するために地面や壁に書きつける場面や、声に出し て朗読するという場面もある。その中にただ1編あるバラッド詩が “Sister Rosa: A Ballad”である。このバラッドが登場する場面は、2章での悪党たちの洞窟での宴会中である。首長が悪党の一人に「古いドイツの物語」を披露するよう に言い、悪党Steindolphが朗読する。このSt. Irvyneの特徴をReimanは次のように指摘している。

Besides these poetic epigraphs, six original poems and fragments are scattered through the text of St. Irvyne, just as lyrics are distributed throughout both The Monk by Matthew G. Lewis and Confessions of Nun of St. Omer (1805) by Charlotte Dacre (“Rosa Matilda”), a clear influence on Percy Bysshe Shelley’s romance.  (Dacre’s Zofloya, which provided plot elements for both Zastrozzi and St. Irvyne, has poetry only in its epigraphs.) (2)

Dacreの Zofloyaについての指摘も多いが、特にM. G. LewisについてはTales of Terror (1799)がシェリーの住んでいたField Placeの図書館にあったことからも、幼少時代から親しんでいたことがわかり、その影響は大きなものであるだろう。(3)

この2つの作品だが、小説としての評価は出版当初から現在まで概して低い。共通しているのは読むべき内容がない、当時熱中していたゴシック小説を実験的に書いたものだ、若気の至りというようなものである。その中から一つ引用したい。

Like most very early productions, Zastrozzi and St. Irvyne are read less for themselves than for what they point toward in the author’s later work, or for the data they furnish on such extra-literary matters as Shelley’s flirtations with atheism or the occult. (4)

小説としてではなく、シェリーの他の作品を読み解くためのヒントとしてのみ、彼の小説は価値を見出されていた。この指摘の中の “atheism”と “occult”はSt.Irvyneを 考える上での、またバラッド詩が挿入されている理由を考える上での鍵となるのではないかと考えている。このキーワードから三つの点を考えてみたい。一つ目 は「神への不敬、無神論」二つ目は「薔薇十字団」、三つ目は “Sister Rosa”の内容と登場人物Ginottiについてである。彼が小説を書いた1810-11年頃というのは言わずと知れたThe Necessity of Atheism、 神の存在に疑問を投げかけ、独自に存在の否定を証明してみせたパンフレットを執筆出版した時期と一致する。この過激なパンフレットが原因で彼は大学を放校 されてしまうが、この時期に彼はWandering Jewの伝説にも関心を寄せ、いくつかの作品を執筆した。彼のWandering Jewも神に対して挑戦的な人物として描かれている。薔薇十字団(The Rosicrucian)は17世紀初頭にドイツで誕生し、世界中に広がった神秘主義的哲学の学派である。永遠の若さや不死、姿を消す術などを操るとされ デカルトなども心酔していたと言われている。この薔薇十字団をSt. Irvyne; or the Rosicrucian: a Romance とタイトルに入れることでZastrozzi とは違うゴシック小説であることは明白となっている。また不死ということから前に述べたWandering Jewとの関連、また “Sister Rosa”とも結び付けて考えることができるのではないだろうか。

“Sister Rosa”は修道士と修道女Rosaが登場する。Rosaは死んで葬られているが、そのお墓にいる修道士のところへ恨みを持ったRosaが現れる場面がある。

XVI
And her skeleton form the dread Nun reared
Which dripped with the chill dew of hell.
In her half-eaten eyeballs two pale flames appeared,
And triumphant their gleam on the dark Monk glared,
As he stood within the cell.

XVII
And her lank hand lay on his shuddering brain;
But each power was nerved by fear.—
‘I never, henceforth, may breathe again;
Death now ends mine anguished pain.—
The grave yawns,--we meet there.’

XVIII
And her skeleton lungs did utter the sound,                    
So deadly, so lone, and so fell,
That in long vibrations shuddered the ground;
And as the stern notes floated around,
A deep groan was answered from hell. (5)

こ こで描写されている修道女Rosaの体は “half-eaten eyeballs”のように朽ちかけており、肉体的には明らかに死んでいると考えられるが、亡霊となってはいるが精神は生きている。肉体的な死と精神とが 別になっているように思われる。これは物語の中身と結びついているように思われる。この小説は二つの物語から成っており、その両方に登場するのが後に錬金 術師とわかるGinotti、別名Nempereである。彼は10章でNempereとして一度死んでいる。明白に記されてはいないがMountfort という男が殺したと推測できる記述がある。しかし、死んだはずなのだが最後にGinottiとして登場しており、Wolfsteinと一緒に死ぬ。その最 終章でのGinottiの様子は次のように描写されている。

Ginotti came; his step was rapid, and his manner wild; his figure was wasted almost to a skeleton, yet it retained its loftiness and grandeur; still from his eye emanated that indefinable expression which ever made Wolfstein shrink appalled.  His cheek was sunken and hollow, yet was it flushed by the hectic of despairing exertion. (6)

“Sister Rosa”のように朽ち果ててはいないものの、“skeleton”という語からもRosaとの類似性は認められる。彼の2度の死は議論もされているのだ が、“Sister Rosa”との関連で考えると、最後に登場したときのGinottiはすでに肉体的には死んでいるのではないだろうか。そして亡霊のようにして再度登場し ているとは考えられないだろうか。

死ぬことのできない苦しみを持つWandering Jewの伝説、不死などの錬金術を操る薔薇十字団、そしてバラッドに特徴の亡霊、そしてM. G. Lewisの影響などからシェリーが小説にバラッド詩を挿入した意味、理由を今後も探っていきたい。

(註)
(1) Percy Bysshe Shelley, Zastrozzi: A Romance, St. Irvyne; or, the Rosicrucian: A Romance, ed. Stephen C. Behrendt (Tronto: Broadview Press, 2002) テキストはこの本に拠った。以下、タイトルとページ数を示す。
(2) The Complete Poetry of Percy Bysshe Shelley, vol.1., ed. Reiman, Donald H. and Neil Fraistat (Baltimore: The Johns Hopkins UP, 2000). 
(3) Walter Edwin Peck, Shelley. His Life and Works, 2 vols. (London, 1927), I, 30.
(4) D. G. Halliburton, ‘Shelley’s “Gothic” Novels’, Keats-Shelley Journal (1967) xvi. 39. 
(5) St. Irvyne 180-81.
(6) St. Irvyne 251-.52.