シンポジウム報告

George Mackay Brownとバラッド— intertextual readingの試み
 <2009年3月28日(土)愛知工業大学本山キャンパス>
 
I. 発表要旨
山中光義「Edwin Muirとバラッド」:  George Mackay Brown (1921-96)の ‘The Sea King’s Daughter’ (1991)が“Sir Patrick Spens” (Child 58)における遭難をノルウエーの側から描いたものであることを知った驚きが、このシンポジウム企画の直接の動機であった。同じオークニー諸島出身で、 Brownの師と言われるEdwin Muir (1887-1959)が伝承バラッドについて数々述べていることとBrownに共通点は無いのかという視点から、以下にMuirの論点を抜き出してみよ う。
1. Muirが生まれ育った時代のオークニー諸島においては、バラッドが生きる上での無くてはならない喜びであり、過去から現代へ脈々と引き継がれた「血の一部」(‘part of our life’)であったという。
2. 現代詩が失った読者(聴衆)をバラッドが自然な形で持っていたことにMuirは強く惹かれているが、Brownが“The Ballad Singer”で痛烈なアイロニーをもって展開する詩人(=歌い手)と聴き手と語り手の問題は大変興味深いものがある。
3. 読者(聴衆)の消失とともに物語が衰退したとMuirは述べているが、事実は逆で、バラッドなどにあった時間軸で展開する単純な物語が衰退したことが読者(聴衆)を失わせたのではないか。
4. バラッドの持っている表現の簡潔さと力強さ、感傷性の欠如こそ、かつてスコットランドにあった「真の民衆的感性」を示すものであり、人生をあるがままに受容して極限まで単純化した時に共有した「民衆の想像力」である、とMuirはとらえた。
5. その観点から、MuirはBurns伝説の持つ感傷性を指摘し、本質的に「カトリック的」であったバラッドに対して、宗教改革以降のスコットランド詩の変質を指摘する。
6.  結論としてMuirは、バラッドを生み出した「民衆の力」(‘folk impulse’)が持っていた神話形成力が消滅し、 現代詩人たちは「より個人的に、より地方色を無くして」(‘more individual and less local’)詩作するようになったと述べているが、Brownの堅持した地方性と北欧伝説やサガをモチーフとする詩や小説の世界は、Muirの期待を体 現するものであると受け止められようか。
 
山田 修「Edwin MuirとGeorge Mackay Brown」: ニューバトル・アビー・カレッジ時代を中心に、ミュアとの関係を考えながらブラウンを紹介する。
 ブラウンは小さいころ、10歳年上の姉からWillie Drowned in Yarrowな どの恋物語のバラッドを聞かされた。日本人のわれわれが「桃太郎」や「舌切り雀」などの昔話や「赤とんぼ」や「夕焼け小焼け」などの童謡を聞いて体に染み 付いているように、バラッドはブラウンの体の一部となっていたと考えられる。自叙伝の中で、バラッドの無名性・共有制について語り、そこに芸術の根底があ るのではないかと考える。自分に強烈な印象を残した文学の一つに『オークニーの人々のサガ』などと共にボーダーズバラッドを挙げている。
 ブラウンは19歳のとき(1941年3月)、徴兵検査の健康診断で肺結核であることが分かり、入院することになる。その割には喫煙、過度の飲酒で入退院を繰り返すが、その入院が彼に読書・執筆の時間を与えている面がある。
  ブラウンは29歳の冬(1950-51)、退屈をまぎらすためにオークニーの成人教育の夜間クラスに参加していた。オークニーの成人教育の責任者アレック ス・ドローガンAlex Doloughanから、ニューバトル・アビー・カレッジの学生になる気はないか勧められた。ニューバトル・アビー・カレッジはスコットランドで唯一寄宿 制の成人教育のためのカレッジで、エディンバラの南西、車で30分のダルキースに近いエスク川沿いにある。当時学長は同じオークニー出身のエドウィン・ ミュアで、この出会いがなかったら、詩人・作家としてのジョージ・マッカイ・ブラウンの存在はなかったといっても過言ではない。ブラウンは英語と歴史を選 択した。4人の友人ができた。「エドウィン・ミュアとあの4人の同級生が、私が作家になるのに、影響を及ぼしたことは疑問の余地がない。(中略)ニューバ トルは私を刺激し、私に目的と方向性を与えた。」とブラウンは自叙伝で述べている。
 ミュアは何かと目をかけてくれ、雑誌にブラウ ンの詩が掲載されるよう取り計らってくれたり、処女詩集『嵐』(1954)の序文を書いてくれたり、その詩集をミュアは何人かの友人に送り、ブラウンの詩 を知らしめてくれた。ミュアは学長を辞めてからも、ブラウンが送った一連の詩をホガースプレス社に送り、第2詩集『パンと魚』(1959)の誕生となっ た。詩集は6月に出されたが、残念ながらミュアは1月に亡くなっており、その詩集を目にすることはなかった。
 
主として参考にした本:
 George Mackay Brown.  For the Islands I Sing, John Murray, 1997.
  Muggie Fergusson.  George Mackay Brown: The Life, John Murray, 2006.
 
川畑 彰「G.M.ブラウンのバラッド・詩・詩人考」: ジョージ・マッカイ・ブラウンの‘The Ballad Singer’(1)はバラッドについてのテクストである。
  この小品の中心に据えられるのはオークニーを始めスコットランドやアイルランドの各地に伝わるアザラシについての5部構成のバラッド‘The Lady Odivere’である。本作品の結構は、バラッド歌手Corston  (固有名詞で呼ばれることはほとんどない)がオークニーを治めるEarl Patrick Stuartおよび約20名の人物を前にこのバラッドを唄い、これらの人物がバラッドや歌手についてのコメントをするというものである(2)。
  作品の眼目はバラッドの内容およびその再現者であるバラッド・シンガーについてのコメントにあるわけだが、バラッドの第1部が唄われたところで、テクスト の進行役である「語り手」が、「詩人は取るに足りない存在」(a person of no consequence; nothing)であること、演じた後は聴衆から、その演技に応じたり、あるいは気まぐれであったりする謝礼を得るだけの存在であるとコメントをする。し かし同時にバラッドが歌われている間は、どのような権力者も彼の所有するところであり、その詩は人々の日々の営みに紛れて忘却されがちなわれわれの限りあ る存在や「真珠」にも似た不滅性についての意識を喚起するという(3)。詩人(ここでは歌手と同義である)について重要なのは、そのような任務にあるとい うのである。
 本作品の詩人・歌手の立ち居振る舞いは語り手のこのコメントにぴたりと符合する。このバラッド・シンガーは唄うのみで、あとは語られるば かり、自らの肉声を発する機会は皆無である。この詩人のありようは、ブラウンの他の作品の詩人のそれと基本的に一致する。しかしながら、テクストの多くの スペースは世の権力者を含む他の人物のコメントに割かれる。伯およびその愛人、侍女頭、ワインではなく水を好み、魔術をほしいままにして動物と交わる魔女 の根絶をもくろむ州判事、二人のカトリック司祭(Reformationは半世紀前とされる)、土地管理人などによるものである。
  ここでは詳述できないが、重要なのは、詩人・作家ブラウンの表現は後段の人物群の現実認識を踏まえたうえでなされている点にある。このことは当然といえば 当然であろうが、その手法には、自画像を強く投影したロバート・バーンズのそれではなく、コロスに見られるギリシア悲劇を創造した詩人、「自然に鏡を掲 げ」(但し、それは決してありのままの意ではない)、‘nothing’(=noting) の意味を問い続けたシェイクスピア、さらには現代のモダニズム詩人に通じるものがある。筆者はここにバラッド的表現法が深く関与していると考える。ブラウ ンは単純に現代の「進歩」(Progress) を糾弾した詩人ではないのである。ブラウンがオークニーの地域に深く根差した詩人として論じられる一方で、現代ヨーロッパ文学のコンテクストで論じられる 所以でもある(4)。
 
(1) An Orkney Tapestry (Quartet Books, 1973〔初版はVictor Gollancz Limited,1969〕)に所収。
(2) バラッドのテクストはWalter Traill Dennison版(Orkney Folklore and Sea Legend, Complied by Tom Muir, The Orkney Press, 1995)をほぼそのまま引 用していて、作者ブラウンによる「介入」のない極端な例であるが、地域に流布するテクストへのおおいなる依拠は、アザラシ伝説のみならず、オークニー諸島 に根差して終生創作活動を貫徹したブラウンの創作スタイルの基調を成す。このバラッドの伝承過程や版については入江和子氏の当協会「研究ノート11」を参 照。ところで、当シンポジウム企画の発端となったバラッド ‘Sir Patrick Spens’ については対照的に、ブラウンはタイトルをThe Sea-King’s Daughter (Balnain Books, 1991) と改め、演劇仕立ての物語とともに主題についてもおおいに変容させているのは興味深い。   
(3) His slow formal chant probed them to their innermost sanctuaries; showed them, beneath their withering faces, the enduring skull; but hinted also at an immortal pearl lost under the vanities and prodigalities of their days.(153-54)
(4) 詩的伝統や時代背景との関連で、詩人としてのブラウンとその作品を論じたSabine Schmid ‘Keeping the Sources Pure ’  The Making of George Mackay Brown (Peter Lang, 2003) は示唆に富んだ著作である(特にpp. 205-15)。また、筆者のプリテクスト(当協会「エッセイ」)との関連では、現実をまるごとテクストとして受容し、’tapestry’ として表象したブラウンは、詩人は‘nothing’であるとの世のプリテクストに晒されながら、あるいは、それゆえに、プリテクストを極力排した詩人と 言えよう。
 
入江和子「アザラシの伝説とバラッド」: George Mackay Brownの“5. Poets: The Ballad Singer” (An Orkney Tapestry, 1973,  149-78)では、作中でうたわれるバラッド‘The Lady Odivere’にアザラシ人間が登場するが、これを同じくアザラシ伝説をうたったChild 版の‘The Great Silkie of Sule Skerry’ (No.113)と比較し、二つのバラッドの関連性を探る。
 幼い頃よりバラッドや詩に親しむ環境に育った Brownは、詩作の上で大きな影響を受けた同じオークニー出身のMuirと違って長い歴史と豊かな風土を持つオークニーを舞台にした詩や小説などの作品 を数多く著している。その中には語り継がれてきた民間伝承を取り入れたものも多く、Great / Grey Selkie (silkie, selchi) と呼ばれる大アザラシがアザラシの皮をぬいで美しい人間に変身するというアザラシ伝説はBrownが度々好んで用いた題材である。
  冒頭の“5. Poets: The Ballad Singer”は、バラッドの歌い手Corstonがオークニー伯のPatrick Stuartや司祭、判事、女たちの前で、ノルウェーが舞台のLady Odivereとアザラシ人間のロマンスを見事にうたい上げ、その幕間 (Fit) に登場人物の詩についての意見や様子が述べられる作品である。 Brownは前書きに、Ernest Walker Marwick (1915-77) のAn Anthology of Orkney Verse (1949) で初めて読んだこの素晴らしいバラッド‘The Lady Odivere’を‘resurrect’しようと試みたと記しているように、これをほぼそのまま引用して筋立てに巧みに織り込んでいる。
  Marwickのアンソロジ―に含まれるタイトルは‘The Play of the Lady Odivere’(54-64) であるが、その原本は19世紀のオークニーの民間伝承学者Walter Trail Dennison (1825-94) が40年ほどかけてオークニー各地で蒐集した‘The Play o’ De Lathie Odivere’(S. A. N. N. Q. Ⅷ 1894, 53-58.再版 Orkney Folklore & Sea Legends 1995, 88-103) と題する5部構成93スタンザのバラッドである。Dennison版に照らし合わせるとBrownとMarwickの各版は方言の扱いや註の部分を除いて 内容的に大きな違いは見られない。 一方の“The Great Silkie of Sule Skerry”(Child 113) は7スタンザで構成される短いストーリーで、シェトランドで書き留められたと言われるものである。 内容においてはDennison版のThird Fit (24 stanza) に共通する部分や符合するスタンザがあるなど興味深い点が見受けられる。しかし最後のスタンザはDennison版と大きく異なりその終わりは唐突であ る。報告ではこの二つのバラッドの相違部分に注目してそれぞれにどのような特徴が見受けられるかを探り、更には民話との関係にも言及できればと考えてい る。
 
参考文献:
Brown, George Mackay. An Orkney Tapestry (Quartet Books, 1973)
Child, Francis James. The English and Scottish Popular Ballads vol.Ⅱ   (Boston.1882-98)
Dennison, Walter Trail. Orkney Folklore and Sea Legends (The Orkney Press:  Kirkwall, 1995)
Marwick, Ernest Walker. An Anthology of Orkney Verse (1949) 
バラッド研究会編訳、『チャイルド・バラッド 第1巻』音羽書房鶴見書店、2005
 
II. Q & A, etc
コメント1:  『全訳 チャイルド・バラッド』全3巻中で、「スール・スケリー島の大アザラシ」(第1巻、Child113)を担当した。その時はGeorge Mackay Brownの作品は知らなかった。Brownの‘The Ballad Singer’などの作品とその背景の民間伝承について知っていたら、もっと詳しい注釈が書けたと思うと残念だ。
Q1:  スコットランド詩人としてのBrownの作品には、スコッツ語ではなくてオークニー言葉は使われているのか。オークニーの民間伝承やsagaを題材にする のがBrownの特徴であり、ならば、Brownはオークニーの言葉を詩作においてはどのように意識していたかを知りたい。というのは、オークニーの出身 であり、エディンバラ時代の師でもあったEdwin MuirからBrownは多大な影響を受けていることが伝記『島に生まれ、島に歌う』(川畑彰・山田修訳、あるば書房、2003年)に書かれているが、そ のMuirは、スコティッシュ・ルネサンス運動でHugh MacDiarmidが提唱したスコッツ語による創作には反対の立場をとり、自身の作品はすべて英語で書いた。これに対して、Brownは言葉にどのよう な態度をとったのか。
A1-1: Brownの作品にどのようなオークニー方言が使われているかを述べることは難しい。多少の方言はあるが、それがスコッツ語とどう違うかについては私は研究していないので、質問者が今後勉強してほしい。
A1-2: オークニー言葉で作品を書いた詩人にRobert Lendallという詩人がいる。Brownは著書An Orkney Tapestry (London: Victor Gollancz Ltd., 1969, 163-71)の中で、Lendallのオークニー言葉による詩を高く評価している。そこにはLendallの作品も紹介されているので、Brownの言 葉とLendallの言葉がどのように違うかを比較することができると思う。しかし総じて、Brownは意図的にスコッツ語またはオークニー言葉を詩の言 語とはしていない。
Q2: 外国人による伝承バラッド研究には壁があると思ってきた。その土地に生まれ育ったものでない外国人ができることは、フィールドワークで蒐集され文字として残された各版を比較して、何が言えるかを研究することしかない。
A2:  Brownの ‘The Ballad Singer’と、その元歌とも呼べるW. T. Dennison蒐集の ‘The Play o’ De Lathie Odivere’と、Childの ‘The Great Silkie of Sule Skerry’を比較すると、面白い発見がある。BrownはDennisonの長編詩をほぼそのまま引用して物語の筋立てに折り込んでおり、他方、チャ イルド・バラッドはわずか7スタンザでありながら、内容についてはDennison版と共通する部分がある。Dennison版との違いは終わり方の唐突 さである。私の意見では、Child版は様々にうたわれたアザラシ伝説の「最後に残ったコア」のようなものとしてうたい継がれて来たのだと思う。
Q3: Edwin Muirが生前果せなかった事業を妻のWilla Muirが引き継いで、Living with Balladsを出版したと言われたが、どのように引き継いだのか。
A3: Muirは「伝承バラッドの全体像を再創造したい」と願い、T. S. Eliotの肝煎りで奨励金まで得ていたが、その全体像が明かされることなく亡くなったために、奨励金は妻のWillaにそのまま引き継がれて、歴史に残る彼女の著作として発表された。
Q4:  Brownの作品にアザラシが出てくる理由は、オークニーの人々の生活にアザラシが深く関わってきたからだと思う。アザラシがほ乳類であり、顔つきや仕種 が人間に近いということの他に、アザラシの肉、毛皮、油が様々に加工されて使われてきたことは想像に難くない。しかしBrownの作品には他の動物や植物 があまり出ないように思うが、それはなぜか。
A4: Brownの作品にはオークニー独特ではないかもしれないが、植物、動物ともに多くうたわれている。そのためにBrownの作品は読者には馴染みやすいと思う。
 
III. 講評
参 加者全員が積極的に質疑応答、意見交換できるようにという目論見から、事前にハンドアウトその他重要な資料を参加予定者に送った。講師各人の発表は15分 以内に押さえることに成功したが、結局第2ラウンドの時間が30分しか無くて、十二分な質疑応答にならなかった点が残念である。次回の時間配分は検討しな くてはならない。
 しかし総じて、日本では未だあまり知られていないGeorge Mackay Brownとバラッドに深い繋がりがあることが多少なりとも明らかになったことは大きな収穫であったと思われる。(文責 山中光義)