井出弘之 『ハーディ文学は何処から来たか ― 伝承バラッド、英国性、そして笑い』 音羽書房鶴見書店、2009年。 


 井出弘之氏は、ヴィクトリア朝文学に造詣が深く、多数の論文、論考、翻訳などがある。本書は、ヴィクトリア朝を代表する小説家、詩人のThomas Hardy (1840-1928) について、氏が30数年間、方々に書いてきたものに新たに加筆して纏めたものである。全8章の構成は、ほぼ発表順になっている為に、一見、整合性に欠ける嫌いがあり、それらの内容に重複も見られる。(あとがきより) 本書は、氏の幅広い学識を元にハーディ文学のルーツを探求し詳述した研究書である。英文学は勿論のこと、それ以外の文芸作品からも多種多様な文献が引用され、それらとハーディの個々の作品との関係が、氏独特な語り口調の文体で軽妙洒脱に解説、論評されている。 

 国内のハーディ文学研究界において、彼の作品に見られるバラッド性についての論考は、未だに軽視されたままである。その様な状況の中、氏は既に「伝承バラッドとハーディの関係」に着目していた。そして本書の第1章「『ダーバヴィル家のテス』 ― バラッド的世界」の論文を1975年に発表していたことは、注目に値する。続く第2章からはバラッドについての言及は少ないが、バラッドがハーディ文学の起源と展開に果たした役割は大きい。この分野の研究は国内外ともに余り進んでいないので、本書はハーディ研究者にとって待望の有益な研究書となっている。 

以下、各章について紹介する。
第1章 『ダ―バヴィル家のテス』 ― バラッド的世界      
 全8章の中で本章に最も重点が置かれていて、次の項目別に解説されている。 プロローグ ― 建築家にして詩人、小説家 1.バラッド的真実 2.  “Too Late, Beloved!” 3.語り手の戦略的役割 4.「ダーバヴィル家四輪馬車伝説」 5.ウォルター・スコットとハーディ 6.バラッド的世界  エピローグ ― 再び「まだらの牝牛」、挿絵画家と映画化秘話、マリノフスキーも読んだ『テス』  
 伝承バラッド特有の技法と『テス』の物語要素との関連性を細部に亘って具体的に例証。現実世界の深層に遍在する深くて悲しい人間のバラッド的真実は、『テス』に限らず他作品にも顕著に見られる。 

第2章 ハーディにふるさとはあるか  
 過去の伝統的文化やウェセックスの自然は、ハーディの故郷であるように見えて、実は彼にとっての帰るべき「ふるさと」ではなかった。失われゆく世界へのノスタルジアは強烈にあったが、険しい「回帰不能 」(No Return)」という現実の前では、敢てそれを断ち切らざるを得なかった。しかし、この「ふるさと」への強い回帰願望が、ハーディの創造的世界を紡ぎ出す最大の原動力でもあった。『ダーバヴィル家のテス』、『帰郷』、『日陰者ジュード』など、5編の長篇小説を挙げて詳述。 

第3章 愚か者たちの受難曲 ― 『日陰者ジュード』と「新しい女」小説  
 この作品の女主人公ス―・ブライドヘッドの特異かつ特徴的な物語要素は、その殆どが当時すでに「新しい女」小説群の中で用いられていた。その上で更にハーディが描こうとしたのは、社会の型や掟の文明とそれらに抗うスーにとっての「自然」(ありのままの自己)との関わり方であった。それが男にとって不都合であろうと、敢然と立ち向かった彼女は輝かしくて危険な女でもあった。それがス―の真実の姿ではなかっただろうか。 

第4章 ハーディ文学は何処から来たか ― その処女長篇と60年代大衆小説  
 60年代にはマイナーなセンセーション小説が数多く出版された。中でもW・コリンズの『バジル ― 現代生活の物語』やM・ブラッドンの『オードリーの奥方の秘密』は、ハーディ文学の根源に大きな影響を与えた。ハーディの処女長篇小説『窮余の策』(1871)は、筋立てが余りにメロドラマチックでセンセーショナルだとの理由で評価は低かった。しかし、他の作品の中でも際立ってセンセーショナルであったからこそ、ハーディを19世紀英文学史上に位置づけた貴重な鍵を握っており、後続のセンセーショナルでサイキックな深層世界を描いた作品へと繋がっていったのではないか。また、ハーディの中心思想の一つ、「人間がコントロールできない諸力の存在」は、実は彼の独創ではなく、すでに当時の大衆小説の伝統的な要素の一つであった。 

第5章 始原の時、終末の時 ― ハーディ小説と「世紀末」  
 「ハンプティ・ダンプティ」、『テス』、『帰郷』などの中から、世紀末的現象とは何か、を具体的に例証しながら、ハーディの世界といわゆる世紀末現象との類似性(「回帰不能」と「贖うこと能わず」)について論述。「生」そのものへの関わりが困難となった状況の中で、W・ペイター、O・ワイルド、T・ハーディは、それぞれの作品を通してその対峙方法の是非を世に問うた。中でもハーディは、自然と人間の魂に関わる「生の諸々の悲劇的ミステリー」に重点を置き、それはイギリスの有名な画家J・M・ターナーの神秘的な風景画の中に共通点が見出される。(参照:第1章1.バラッド的真実) 当時から百年余り経ったこの世紀末にこそ、彼らの提唱する世界を読み継ぐ意義がある。 

第6章 トマス・ハーディとヴィクトリア朝メロドラマ ― D・ブーシコー / L・ルイス / H・A・ジョーンズ   ハーディ文学の世界に関わりをもつヴィクトリア朝の傑作メロドラマ3作品を挙げ、それらとの共鳴、照応について解説。先ずD・ブ―シコ― の戯曲The Corsican Brothers は、舞台装置に大紗幕(gauze) を使用し、「超現実」と「現実」を二重写しにした見事な演出がされた。その手法はハーディの『森林地の人びと』、『テス』、その他に影響を与えている。次にL・ルイス のThe Bells は、近代文明社会の日常的現実の表層とその下に隠された深層領域との駆け引きを描いたサイコ・ドラマで、『キャスターブリッジの町長』にその類似性が見られる。最後にハーディと親友でもあったH・A・ジョーンズ のThe Silver King は、彼に最も大きな影響を与えた作品である。これは帰属する場所を持たない登場人物たちの魂の彷徨を劇化したもので、そのモチーフはハーディ文学の真髄とも一致する。

第7章 『キャスターブリッジの町長』 ― その多義的世界と笑い  
 1.この作品の基調となっている「ジョーク」の実体を、主人公の妻スーザン、主人公ヘンチャ―ド、お馬なぶりの順に挙げて具体的に解説。2.水夫ニューソンと粥売り女のコスモポリタン的気質に通底する「多義的な眼」が、作品構造の枠組みを支えていること、さらに第6章で言及されたThe Bells から借用した要素も多々見られることを説明。3.新旧両文明が「併存」するキャスターブリッジの町に「共存」はなく、その為に旧世代のヘンチャ―ドが生き残る術はなかった。ハーディの創作意図は、第5章でも解説されているように、一貫して“No Return”, “No Redemption” であった。 

第8章 ハーディ文学に見る「英国性(イングリッシュネス)」、そして笑い 
 1.「ハーディエスク」と英国人気質  ハーディ様式と英国人気質は本質的に通底していることを、劇作家J・B・プリーストリーの名エッセイ「イギリス人気質の極意」やJ・ファウルズの名エッセイ「イングランド人でありブリテン人ではない、ということ」などから引用しながら、ハーディの諸作品との関連を例証。2.ハーディとユーモア  悲劇的過ぎると非難される詩や小説にも彼特有のユーモアが隠されていることを、主要作品『狂乱の群れを離れて』、『緑樹の陰で』、『帰郷』、『テス』、『日陰者ジュード』の中から具体例を挙げて説明。なおJ・ベイリーのAn Essay on Hardy は、ハーディのユーモアの特徴を的確に指摘している解説書である。 

 以上の概略のように、本書の対象は主にハーディの研究者である。しかし、第2章と第8章を除いた各章末尾の「コラム的断章」は、彼を敬遠する人にも読みやすく興味深い内容のエッセイで、ここでも氏の軽妙な語り口調の文体を楽しめると思う。タイトルは順に、「翻訳の舞台裏から ― 『テス』のナレーション、話法、時制など」、「19世紀イギリスと重婚小説」、「‘Never to be Forgotten’ ― もう一つの「ハーディに結ばれる絆」」、「テスの夢 ― 「かわいそうな、ぼくのテス・・・」」、「『ハーディ短編集』翻訳のあとさき」、「John Bayley, An Essay on Hardy (書評エッセイ)」である。