日本バラッド協会第4回(2012)会合

<プログラム、シンポジウムの要旨および演奏ゲストの略歴等>

日時: 2012年3月24日(土)13:00~17:00
会合場所: 聖徳大学
http://www.seitoku.jp/univ/map/index.shtml

1. プログラム
司会・進行   中島久代
13:00 開催校挨拶 (高松晃子)
13:10 事務局報告/初参加の会員紹介
13:30 特別講演: 鎌田明子「キーツと音楽」
14:10 tea break
14:20 シンポジウム: 「バラッドの音楽」(*高松晃子、寺本圭佑、石嶺麻紀) 
高松晃子「バラッドの伝承―空間の移動と変容する音楽について」
寺本圭佑「バラッドの作者および伝承媒体としてのハープ奏者――≪アイリーン・アルーン≫を例に」
石嶺麻紀「Child Ballad 012:Lord Rendalの40種の音源の分類とLord Rendalから派生した童謡、Billy Boyにおける現代家庭内伝承について」
16 :  20   tea break
16:30 アイルランド・スコットランドの伝統楽器による演奏 【Sylva Sylvarum シルヴァ・シルヴァルム】
17:00 閉会
17:30 懇親会 会費:5,000円
懇親会会場: 聖徳大学10号館(生涯学習社会貢献センター)11F(松戸駅前)


2. シンポジウム「バラッドの音楽」の要旨

伝承の過程でさまざまに姿を変えながら、ダイナミックに生き延びてきたバラッドの音楽について、伝承・移動・変化といったキーワードを軸に展開する シンポジウム。はじめに高松が、バラッド音楽の伝承について、時間的・空間的な広がりという観点から包括的な導入を試みる。続いて寺本圭佑氏が、歴史的な 視点からアイルランドのハープ奏者に注目し、音楽伝承の仲介者としての位置づけを行う。さらに石嶺麻紀氏が、ひとつのバラッドが現代においてどのように伝 承されているか、特に家庭内伝承に焦点を合わせて具体的に考察する。そのあと、フロアからの発言を交えながら、バラッド音楽の生命力に多方面から光を当て てみたい。(高松)

「バラッドの伝承―空間の移動と変容する音楽について」高松 晃子
はじめに、バラッド音楽のダイナミズムを概観してみたい。キーワードは、「移動」と「変容」である。

音楽は根源的にコミュニケーション・ツールとしての性格をもっている。したがって、人に伝達されることで初めて意味を持つと考えることができる。音 楽の伝達形態について、いくつかの場合を想定してみよう。まず、もっとも単純なのは、人から人へ、対面で伝えられる場合(①)である。歌い手から聞き手へ と、音楽は移動する。音楽は、より大規模に移動する(②)こともできる。たとえば、アイルランドのハープ奏者や移民のような「運び手」が仲介することに よって(②-1)、書物や楽譜の出版によって(②-2)、録音とその流通によって(②-3)、さらにはインターネットによって(②-4)、音楽はさまざま な境界を瞬時にして越えることができるのである。

これらの伝達形態はそれぞれ、伝達の方法や伝達される内容、速度や規模において特徴がある。まず、伝達の方法については、口頭伝承と書記伝承という 大きな分類ができる。②-2以外は口頭伝承ということになるのだが、民族音楽学的見地からは、それをより細かく分類し、①や一部の②-1のような形態を第 一次口頭伝承、②-3,4などは第二次口頭伝承と呼んでいる。第一次口頭伝承の特徴は「いまここ」であり、伝承範囲が狭く、正確な伝承や記憶には手間ひま がかかる反面、記憶が長続きすること、音楽を様式として理解できることが大きな長所である。いっぽう、「いつでもどこでも」を特徴とする第二次口頭伝承に おいては、伝承範囲が広く誰でも学ぶことができるのが利点だが、伝承の地域性が失われ、音楽様式的にふさわしい演奏作法が充分に伝わらないうらみがある。 さらに、書記伝承について言えば、テクストとして言葉や音楽を固定することで変容を抑制できるのは大きな強みだが、そこに固定されたものは数限りないパ フォーマンスのうちのただ1回の姿にすぎない。また、固定されることで、音楽特有の自由闊達なふるまいまでも抑制されてしまうことを、考慮する必要があ る。

本発表では、音源を提示しながら上の諸形態を整理し、音楽の伝承と越境、固定と変化を議論するための布石としたい。


「バラッドの作者および伝承媒体としてのハープ奏者――≪アイリーン・アルーン≫を例に」寺本圭佑

アイルランド起源のバラッド≪アイリーン・アルーン Eibhlín a rún≫は、オダリー Cearbhall Ó Dálaigh というハープ奏者と関連付けられてきた。多くの伝承が残されているが、18世紀の盲目のストーリー・テラーが伝えたヴァージョンがよく知られている。要約 すると次のような内容である。

「オダリーにはアイリーンという婚約者がいたが、諸事情で彼女は別の男と結婚することになった。式場に変装したオダリーが現れ、おもむろに≪アイリーン・アルーン≫をハープの伴奏で歌い、アイリーンを連れて駆け落ちした」。

オダリーがいつ頃活躍していたのか、また実在の人物だったのかさえ定かではない。だが、18世紀に入ると、少しずつ伝承の状況をたどることができる ようになる。たとえば、1702年頃にハープ奏者ライオンズ Cornelius Lyons (c.1680?-c.1750?) が、このバラッドの変奏曲を作曲したとされる。その楽譜資料は現存しないが、彼は二人の盲目のハープ奏者にこの曲を伝授していた。彼らの演奏を採譜した楽 譜資料が現存しているため、そこからライオンズの編曲を推測することができる。ここで注目すべきは、ライオンズが18世紀のヨーロッパで流行する「変奏 曲」の形式を、伝統音楽に取り入れていたことであろう。

18世紀のアイルランドは、英国による植民地化が徹底された時代だった。ダブリンには次々と劇場が建てられ、いわゆる「クラシック音楽」が流入して いた。それに伴い聴衆の趣味が変化したことで、伝統的なハープ音楽は相対的に下火になっていった。時代の変化に適応するために、カロラン Turlough O’Carolan (1670-1738) がバロック音楽を取り入れた作曲を行い、成功を収めたことは周知の事実である。

他 方で、ライオンズは≪アイリーン・アルーン≫の変奏曲を作曲し、伝統音楽を当時の聴衆の趣味に適合させることで、ハープ音楽を活性化させる方法を模索して いた。≪アイリーン・アルーン≫は元々アイルランド語で歌われるバラッドだった。だが、ライオンズが変奏曲を書き、「バラッドの器楽化」を実施したこと で、英語しか理解できない植民者にも親しまれる音楽へと生まれ変わったのである。

事実、ライオンズが変奏曲を書いた後、このバラッドの曲はクラシック音楽に積極的に取り入れられるようになった。たとえば、バラッド・オペラで用い られるようになり、ヴァイオリンによる変奏曲が書かれ、その印刷楽譜が出版された。以後この曲はハープ奏者の手を離れて人口に膾炙するようになり、19世 紀にはムーア Thomas Moore (1779-1852) やバーンズ Robert Burns (1759-1796) らによって新しい歌詞が付けられて親しまれるようになった。

アイルランド土着のバラッドが、クラシック音楽という異質の文化に取り入れられる過程に着目すると、その橋渡し役をしたハープ奏者の存在を無視することはできない。彼らはバラッドの源泉であり、それを伝承させる媒体としても機能していたのである。

主な参考文献
Bunting, Edward. (1796/1809/1840/2002). The Ancient Music of Ireland. Dublin: Walton Publishing. 
Doan, James. (1985). “The Folksong Tradition of Cearbhall Ó Dálaigh.” Folklore, Vol. 96, No. 1. (67-86).
O’Sullivan, Donal. (1958/2001). Carolan: The Life Times and Music of an Irish Harper. Cork: Ossian.
O'Sullivan, Donal & Ó Súilleabháin, Mícheál. (1983). Bunting's Ancient Music of Ireland edited from the original manuscripts. Cork: Cork University Press.
Walker, Joseph Cooper. (1786/1971). Historical Memoires of the Irish Bards. Dublin/New York: Garland Pub.


「Child Ballad 012:Lord Rendalの40種の音源の分類とLord Rendalから派生した童謡、Billy Boyにおける現代家庭内伝承について」石嶺麻紀

調査方法:日本バラッド協会のホームページのリンク集(www.j-ballad.com/link /154-2008-09-16-05-51-55.html) にあるリンク先 The Child Ballad Collectionをもとに、曲名がLord Rendalとほぼ同じもの(Lord Ronald/Lord Randal/Lord Randal, My Son/Lord Randolph/O Where Hae You Been, Lord Ranald, My Son?など含む)のみを抽出し、順に音源収集を試みる。173曲中収集できたものは40曲、それらのメロディをヴァージョンごとに区分する(今回、歌詞 については調査の対象としない)。区分ごとに数の集計、曲の特徴、サウンドの変化(年代別の特徴)などを考察する。

1. 独立バージョン:平野敬一氏は著書『「バラッドの世界』の中でLord Rendalについてこう述べている。「『ロード・ランダル』の考証をはじめたら、それこそ広義のヨーロッパ比較文化−ヨーロッパ・バラッド学−の世界に 踏み込まざるをえなくなってくる」。そして、このバラッドがヨーロッパ各地でイギリス版よりも古い年代で見つかっていることから、イギリス起源説を否定 し、「ヨーロッパ(そしておそらくイタリア)起源説」は否定しがたい。しかし、このバラッドは「よほどイギリス人の好みに合ったとみえて、そのさまざまな ヴァージョンが、イギリスの伝承童謡や伝承バラッドに広く根を下ろしている」と続けている。ここで紹介する独立バージョンはそれぞれ全く違うメロディを もっており、録音音源として1曲ずつしか収集できなかったものである。即ち、収集不可能だった録音音源の中にも、おそらく独立ヴァージョンは多数存在する と推測され、さらに、録音として現在に残っていないものにまで考えを及ぼすとき、Lord Rendalのイギリスでの伝承歌としてのヴァージョン数は計り知れないのではないだろうか。同じ物語に対し無数のメロディという構図は、歌としての生命 力は物語(歌詞)の方にあると考えられる。

2.録音伝承バージョン:第二次世界大戦中、空襲に苦しめられる都市部の人々とそれを支えようとする農村部の人々の「仲間意識を築くため」にBBC ラジオで「カントリー・マガジン」という番組が始まる。番組の中で重要だったのは、各地方で歌われている伝承歌を聴かせるコーナーで、「どの地方に行って も、古いフォーク・ソングを見事に歌いこなせる歌手が必ず見つけられた。」と、茂木健氏は著書『バラッドの世界』で述べている。このラジオ番組による フィールド録音が、第2次フォークリヴァイヴァルの始まりである。それにより、19世紀末、セシル・シャープらブルジョア階級により、愛国的精神の形成を 目的に、収集、改ざん、譜面化された第1次フォークリヴィイヴァルのフォークソングたちは、その歪みを暴かれてしまう。伝承歌は伝承され生きていたのであ る。伝承歌の卓越した歌い手たちは、やがてラジオ、テレビ、パブなどで活躍するようになり、職業歌手になってゆく。そしてレコード産業の強大化とともに、 彼ら、バラッドシンガーの録音が増加してゆくのである。彼らによって歌われた迫力あるLord Rendalの録音が登場すると、それらはその後のミュージシャンに影響を与え、同じメロディに異なるサウンドという形での録音伝承が始まる。ある意味 で、ここからがバラッドのポピュラー音楽(ポップス)化の始まりではないだろうか。ポピュラー音楽においては、サウンドは時代性を帯びて変化してゆくもの で、それはバラッドも決して例外ではないのである。ここでは、特にEwan MacCollヴァージョンとMartin Carthyヴァージョンについてまとめてみたい。

3.「クラシック」ヴァージョン:クラシック歌手がLord Rendalを歌う場合、メロディヴァージョンはほぼ一つである。クラシック音楽であるゆえ、譜面による伝承と考える事が妥当だろう。クラシックヴァー ジョンのメロディは他のLord Rendalのメロディに比べ、音楽的物語性が最も明確であり、また劇的でもあり、クラシック音楽のために作曲されたのではないかとの推測もできる。メロ ディの特徴を分析するとともに、その楽曲起源をできるだけ辿ってみたい。

4.Billy Boyにおける現代家庭内伝承:Martin Carthyと、同じくバラッドシンガーであるNorma Watersonの間に1975年に生まれた娘のEliza Carthy は、1990年にデビューし、精力的に活動を続ける若手バラッドシンガーであり、フィドラーである。現在イギリスでは、音楽大学でのバラッドの教育もあ り、音大出身の若いバラッドシンガーは増えていると聞く。そんな中で両親とも有名なバラッドシンガーで、その家庭内での伝承を受けて活躍しているのは Eliza Carthyのみかもしれない。ここでは、父であるMartin Carthyと娘のEliza Carthy双方が歌ったBilly Boyを比較して、バラッドの現代の家庭内伝承について考えてみたい。


3. 演奏ゲスト略歴と演奏プログラム
【Sylva Sylvarum シルヴァ・シルヴァルム】
アイリッシュ・ハープ研究者寺本圭佑とスコットランド古楽を学んだ木田智之が、アイルランド、スコットランドの伝統楽器である金属弦ハープの普及と可能性 を追求すべく立ち上げたユニット。哲学者ベーコンFrancis Bacon (1561-1626) が金属弦ハープの音色を絶賛した書物 Sylva Sylvarum (1627) から命名。2010年3月には大倉山にて、他の2人の金属弦ハープ奏者及びスコティッシュソングの木田直子と共に、日本では初の試みである4台の金属弦 ハープと歌によるコンサート、「大倉山ハープフェスティヴァル」を開催、好評を博した。同年7月、白馬スコットランドフェスティヴァルに出演。 
〈演奏予定曲目〉
①Lea-Rig (2ヴァージョン)
②Da mihi manum(2ヴァージョン) 
③Katharine Oggle 
④O Waly Waly (Irish Boy or The Water is Wide) 
⑤Eibhlín a rún