(2014年3月30日、薮下卓郎氏逝去。享年76歳。長年、氏と共に同じ道を歩いた者として、ここに追悼の一文を寄せる。)  

 親しみを込めて「薮下さん」と呼ばせていただきますが、薮下さんは今年に入って病いに倒れられ、2か月にわたる入院生活を経て順調に回復に向かわれたことから、3月のバラッド協会の会合の翌日に高砂市のご自宅にお見舞いに伺う約束でしたが、散歩中に転ばれて頭を強打されたために、とりあえずその時の見舞いは延期となりました。5月の連休の最終日、そろそろお目にかかれるかと期待して電話しましたところ、すでにお亡くなりになっていて、最後に一目でもお目にかかれなかったことが一生悔やまれることになりました。  
 3月の電話口で奥様が、「あんなに剣道もして元気だったのに、どうしてこんなことに・・・」とおっしゃいましたが、薮下さんは剣道6段の腕前で、その昇段試験が福岡であった折に、広い体育館の2階から観ていたのですが、あの巨体から振り下ろされる竹刀のうなりとは対照的に、実技後に床に這いつくばって筆記試験に取り組まれている姿にはとても微笑ましいものがありました。  
 私が初めてバラッドの魅力に開眼させられたのは、薮下さんの「バラッドにおける物語り技法」[『視界』11 (1968)]という論文でした。以来、バラッドを訳したりテキストを編集するうえで、数々の仕事をご一緒させていただきました。『バラッド詩集 —— イングランド・スコットランド民衆の歌』 (音羽書房, 1978)出版の際には、引き受けてくれそうな出版社を求めて東京中を探し回った苦労が忘れられません。パソコンというものが未だ無かった時代に、お互いの試訳原稿をいちいち郵送して朱を入れあい、一つの作品に対して何度もそれを繰返した下書き原稿の山が未だに私の手元に眠っています。勿論、『全訳 チャイルド・バラッド』3巻(音羽書房鶴見書店, 2005-06)の折には翻訳はもとより監修をつとめていただきました。伝承バラッドとバラッド詩のテキストも一緒に編集しました(Traditional and Literary Ballads. 大阪教育図書, 1980)。  
 1990年の第62回日本英文学会(岡山大学)では、「バラッドの伝承性と文学性」をテーマに、一緒にシンポジウムをやりました。薮下さんは本来、ロマン派詩人ジョン・キーツの研究者として数々の業績をあげてこられましたが、Poems of 1820 and The Fall of Hyperion (北星堂書店, 1978)は、キーツを学ぶものが必ず手にする貴重な注釈本です。「ロマン派詩人にとってのバラッド —— キーツの“La Belle Dame sans Merci”を中心に」 [『季刊英文学』11: 3 (1974)]という見事なバラッド詩論もあります。  
 私の『バラッド鑑賞』(開文社, 1988)は薮下さんに捧げたものですが、その 「まえがき」で私は、「氏とは、かってミルトンの『失楽園』全巻を3年間にわたって精読した忘れがたい読書会の思い出を持つが、テキストの一字一句をおろそかにしないで、その上に固有の感性を重ねて読まれる氏の文学鑑賞の方法は、主観と客観の見事に融合したものとしてわたしには絶えず刺激的であった」と記しています。毎週欠かさず続けた読書会でしたが、それはまた、その後の長時間にわたる酒宴に支えられたものでもありました。ビールと日本酒と焼酎を並べて同時に飲んでゆくというのが薮下流で、そして最後は、何故かジン・トニック。   
 バラッド流の「肉体を持った亡霊」となって酒席の場に戻ってきてください。そして、(今年は特別に好調な)阪神に始まって、キーツから中原中也、本居宣長から古事記へと、縦横無尽の薮下流話術を、また、聴かせてください。 

(氏は、1939年兵庫県生まれ。1966年京都大学大学院博士課程中退、神戸大学、京都大学を経て姫路獨協大学大学院教授)