波打ち際の治者   奥山裕介


 デンマークがナチス・ドイツの統治下に置かれた暗い冬の時代、カーアン・ブリクセン(Karen Blixen 1885-1962)は第3の著作『冬物語Vinter-Eventyr』(1942年)を上梓した。シェイクスピアの戯曲から表題を借りたこの短篇集は、同著者によるイサク・ディーネセン(Isak Dinesen)名義で英語版(Winter’s Tales)が先に完成され、原稿はストックホルムにある英国大使館を通じてアメリカ合衆国へ送られた。作品が英語圏で好意的に迎えられたことを著者が確かめえたのは大戦終結後のこと。さるアメリカ軍人から、ポケットサイズの兵隊文庫版(Armed Forces Edition)で作品を読んだと手紙で告げ知らされたのであったi
 他方、この複数言語作家はヒトラー政権下のドイツでも『冬物語』の出版を企てていたことが近年明らかになった。1943年10月のユダヤ人亡命支援に参加したことで知られるブリクセンだが、『七つのゴシック物語Syv fantastiske Fortællinger / Seven Gothic Tales』(1934-35年)を米国で出版した時期は、アーリア人種としてのアイデンティティを強く主張している。翌年に計画されたドイツでの『七つのゴシック物語』出版にあたっては、ユダヤ風の筆名「イサク・ディーネセン」を放棄している。『冬物語』に関しては、1944年の英軍の爆撃により、宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルス(Joseph Goebbels 1897-1945)の統制下にある出版社DVA(Deutsche Verlags-Anstalt)が焼失したため、ヒトラー政権下でのドイツ語版上梓にはいたらなかったii
 『冬物語』は、それまでのエキゾティックな作品世界とは異なり、デンマークを含む北欧の自然環境や歴史に素材を求めた物語群から構成されている。とはいえ、収録作のひとつ「古きデンマークよりFra det gamle Danmark」(英語版では「魚The Fish」)は、民衆歌謡(folkevise)に謳われる1286年の国王弑逆事件と深く結びついた歴史物語である。
 スティーブン・グリーンブラットは、シェイクスピア『冬物語』で臣下への疑心に苛まれるシシリア王リオンティーズの狂気について、「暴君は眠れないのである」と評しているiii 。ブリクセンの『冬物語』の一篇も、獅子身中の虫への恐怖に眠れぬ夜を過ごす王の相貌を描いている。
 「刈毛王(Klipping / Glipping)」の綽名で知られるデンマーク王イーレク5世(在位1259-86)は、権力への憧れに心乱れる不安な夏の夜にひとり醒めていて、森に囲まれた城の小窓から星明かりを見つめている。
 貴族勢力を屈服させて反抗の芽を摘み、肉欲のかぎりを恣にしていたイーレクは、ユラン半島の都市リーベ(Ribe)に現れたユダヤ人アハシュエロスとの出会いを思い出す。かつてキリストを嘲ったこの漂泊の古老の姿こそ、世俗的欲望の尽きる日を知らない自分の運命の写し絵に思えてくる。天に瞬くただひとつの星は聖母のイメージと融け合い、神と合一したいという憧れの象徴となる。絶対者との融合のヴィジョンは、溺れ死なんとする人に海波が差し寄せるように、鐘の音の波をともなって王を訪れる。
 物語では、外界への支配欲に燃える王の運命を、ふたりの臣下との関係から立体視することになる。ひとりは王家にとって御しがたい名族ヴィーゼ家の出身で、パリから舞い戻った学僧スーネ・ピーザセン(Sune Pedersen)である。もうひとりのグランセ(Granze)という老奴隷は、大王ヴァルデマ1世(在位1157-82)のバルト海十字軍に随行した大司教アブサロンの手でリューゲン島からデンマークに連行されたヴェンド人の息子である。
 イギリス領東アフリカ(現ケニア)でのコーヒー農園の失敗を機に作家へと転じたブリクセンにとって、治者と被征服民が取り結ぶ植民地的関係は主要な創作モティーフであり続けた。現地民との交流の記憶を結晶化させた『アフリカの農園Den afrikanske Farm / Out of Africa』(1937年)では、周縁ヨーロッパ地域を故郷とする自己を、イギリスに代表される覇権国家と植民地の中間に位置づけて、文明と未開の境界の相互侵犯から起こるアイデンティティのゆらぎを描き出している。ブリクセンは「古きデンマークより」でも、ヨーロッパの中心で開花した「偉大な科学や芸術」を自らの威信の源泉とする少壮知識人スーネと、海辺に生きて土俗的な信仰を奉じる耆老グランセという対蹠的なキャラクターを配置することで、イーレクの欲望の内実を鮮明に浮かび上がらせている。
 文明の徒であるスーネが代表する理性・意識の世界と、グランセに代表される自然・無意識の世界は、互いに緊張関係を持続させつつイーレクを両極から引き裂く。この若き王は、幼少期にふたりの友を側近として侍らせて精神的な支配下に置き、自己の内で相反する二世界を総合しようと企てる。早朝の森を抜けてグランセのいる渚へと馳せていく王の横で、ともに駒を並べるスーネが盛んにフランス宮廷文化の光輝と、その陰で企てられた王族殺しの陰謀について語る。ヨーロッパで得た見聞にことよせて君主の不安定な運命、神ならぬ人間の力の限界を説きながら、辺境国デンマークの王に向かって謙譲を身につけるよう勧めるスーネの弁は、イーレクの心に響かない。王はあくまでみずからの勢威を恃み、絶対者たる神との合一を求めてやまない。
 荘厳な大聖堂の聳えるパリを「天国」と称して愛惜するスーネのヨーロッパ中心主義的な知性とは対照的に、グランセは遠い祖先の時代から自然の諸物に宿る記憶に依拠して西洋的な文明観への批判を示唆する。このスラヴ系隷属民の老僕が語るところによると、人間が農耕の開始と同時に森林を破壊したとき、木こりたちの仮小屋のそばに立つモミの樹上から、嵐の歌が響きわたったという。「雪の原や石の原。荒れ地に寄せる灰色の波。世界は広い。果てもない」と自然の無際限な広大さを前にメランコリックな詠嘆を洩らしながら、それでも旅を続けなければならない嵐は、イーレクの記憶に残る漂白のユダヤ人アハシュエロスの姿と重なり合う。「空を飛ぶのはもう飽きた。遠くへ駆けるのはもういやだ。疲れて、疲れて、疲れきった。この道はいつ、終わるのだろう?」憂愁に苛まれる嵐はいきなり滑り降りてきて、小屋の中の人間たちを脅しつけて去っていく。「ホー、ホー、ちっぽけな人間どもよ! ネズミかシラミのような者たちよ。冷たい大洋に吹き飛ばそうか。そしたら、どこへ行くのかね?」iv 
 自然界の圧倒的な広大さを説く寓話を通じてイーレクの暴君化を諫めるグランセの言葉は、近代以後の人間中心主義にまで射程に収めるかのような示唆を含んでいる。イーレクの脳裏によぎるヴァルデマ大王時代のヴェンド人征討事業の記憶は、ブリクセンも目の当たりにした非ヨーロッパ世界の植民地支配への類推を導く。イーレクの頭上に聖人像を思わせる金色の輪が輝くのを見たというこの老人の証言は、キリスト教改宗に従いながらも異教的な自然信仰の名残を濃厚に宿し、イーレクの自己神格化を暗示的に戯画化しているのである。
 指輪を見たスーネは、ヘロドトス『歴史』第3巻に語られるポリュクラテスの伝説を想起する。サモスを掌中に収めた僭主ポリュクラテスは、盛運の絶頂を極めていた。盟友としてこれに不安を抱いたエジプト王アマシスは、ポリュクラテスに宛てた手紙で、最も貴重な品を人間の目の届かない場所へ投棄して運気に歯止めをかけるよう忠告する。これを是としたポリュクラテスは、テオドロス作のエメラルドを嵌めた印章つきの金指輪を海中に投じる。ところが5日後、ある漁師が献上した大魚の腹から棄てたはずの指輪が見つかり、ポリュクラテスは神意を確信する。この奇跡を知ったアマシスは、ポリュクラテスが悲劇的な運命を逃れえないことを悟り、友好関係の破棄を通告したというv 。エジプト王の不吉な予感は的中する。自身の幸運を疑わないポリュクラテスは、周囲の諫止を振り切ってペルシア人オロイテスから資金援助の誘いに釣られ、マグネシアに乗り出していってあえなく謀殺されるvi
 いっぽうイーレクの脳裏には、11世紀に北海一円に支配圏を拡大したクヌーズ大王(在位1019?-35)の逸話が想起される。服従を命じても鎮めることのできない潮の流れを臣下に示し、表面的な臣従を装う阿諛追従の輩を羞じいらせたことで知られるクヌーズの威徳に思いを馳せる。にもかかわらず、イーレクは自然をも屈服させる絶対的な権力への意志をあくまで手放さない。
 古典が語るアネクドートを縦横に引きこみながらテクストを織りあげる手法は、ブリクセンの物語の多くに共通する手法である。指輪は各時代の物語に登場する治者の運命の象徴である。スーネは大魚の身体から出た指輪を見て、これは1週間前に北ユランのメレロプ(Mellerup)で会った「大将スティ(Marsk Stig)」ことスティ・アナセン・ヴィーゼ(Stig Andersen Hvide)の妻インゲボー(Ingeborg)のものだと証言する。ヴィーゼ家の縁戚で国王にとって油断ならない近臣であるスーネの語るところによると、イェルム島(Hjelm)の海で舟遊びをした折、波間に手を浸していたインゲボーの指から指輪が離れて海へ消えていったのだという。
 イーレクはわが身のもとへ流れ着いた指輪を、まだ見ぬ麗人との恋を予感させる奇瑞とみて我がものとする。ここでブリクセンの「魚」は話を閉じるが、作者はデンマークの民間伝承に明るくない英語圏の読者のために、こののちイーレクはインゲボーを誘惑し、フィネロプ(Finderup)の納屋でスティ・アナセンに殺害されたと後書きを添えている。歴史家アナス・サーアンセン・ヴィーゼル(Anders Sørensen Vedel 1542 -1616)や古書蒐集家カーアン・ブラーア(Karen Brahe 1657-1736)が採集した民衆歌謡で長く記憶されることになるこの事件は、19世紀に戯曲やオペラの題材に好んで用いられたが、ポリュクラテスの故事と結びつけたのはブリクセンの独創であるvii
 『冬物語』ほかブリクセンの物語集に登場するあらゆる男女と同じく、「魚」の王やインゲボーもまた、理知と欲望の狭間で揺れる運命の不可思議さを体現する人物である。理性の徒として王に運命の捉えがたさを説くスーネもまた、ある女にネコイラズを呑まされてあやうく毒殺されそうになったことを、千里眼のグランセに暴露されている。そのグランセは、イーレクの頭上に金の輪が輝くのを幻視したときから、国王弑逆を見透していたのかもしれない。理を奉じる者も自然に耳傾ける者も、等しく自然の諸力の図りがたさ、運命の絶対的な支配力を身に感じながら生きている。
 翻って今の我々はどうか。人間の予測を超えた事態の可能性を幾度も忘れ、混沌の海に手を突っ込んで宝を喪い、あるいは自然からもたらされた宝に驕るという愚を繰り返してはいないか。中世王権ならぬ民主政社会の治者たる我々は、根拠なき盛運を頼むポリュクラテスとなる前に、クヌーズ王よろしく己が幸運の有限なるを悟り、汀で踏みとどまるべき時ではないだろうか。
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i Jvf. Robert Langbaum: Isak Dinesen’s Art – The Gayety of Vistion. The University of Chicago Press 1975[original 1964], s. 156.
ii Jvf. Benjamin Krasnik: “Blixen følte sig hævet over politik”, i: Kristeligt Dagblad, 12. marts 2014, https://www.kristeligt-dagblad.dk/kultur/blixen-følte-sig-hævet-over-politik(2021年3月31日閲覧).
iii スティーブン・グリーンブラット『暴君——シェイクスピアの政治学』(河合祥一郎訳)、岩波書店、2020年[原著2018年]、167頁。
iv イサク・ディネセン『冬の物語』(横山貞子訳)、新潮社、2015年[原著1942年]、233頁。
v ヘロドトス『歴史 上』(松平千秋訳)、岩波書店、2011年[1971年初版]、357-359頁。
vi 同書、419-424頁。
vii Jvf. Troels Brandt: Kongemordet i Finderup Lade. Gedevasens Forlag. 2020[2018], s. 270f.