Shall We Sing Bonnie Songs? - 木田直子連載エッセイ (1)

Feis in Ullapool - 1(アラプールでのワークショップ体験 - その1)

神奈川県の相模原市からスコットランドのエジンバラ市に引っ越して来て一週間過ぎた、五月のある日、
「連休はアラプールのフェッシュ(Feis)に行くよ」
と、突然、夫が言った。
「僕はクラルサッハ(Clarsach:ケルトハープ)のクラスに、君は歌のクラスにエントリーした」

知らぬ間に、私はフェッシュに参加することになっていた。フェッシュとは、ワークショップだと、夫は付け足した。ボーカルの発表会で「スカボロ・フェア」や「グリーンスリーブス」を歌ったことはある。でも、私はろくに英会話が出来ない。私、大丈夫?

Ullapool High School f

Ullapool High School

アラプールは、スコットランド北部ハイランドにある小さな漁師町。夏は美しい避暑地になる。フェッシュは町の高校の校舎を借りて行われた。校門は楽 器を持った参加者たちで賑わっていた。夫と別れ、私はひとりで歌のクラスに向かった。私の参加するクラスの名前は「スコティッシュソング」。無知な私は、 そのときになってもスコティッシュソングというものを知らず、普通の歌のクラスだと思っていた。参加者たちは口々に、
「ここはスコティッシュソングのクラスよね?」
と、声を掛け合いながら笑顔で教室に入って行く。私も、手の中で汗ばんだ校内地図を確かめながら、恐る恐る足を踏み入れた。

老若男女十五人くらいが輪になって椅子に座った。栗毛に緑の瞳のジャニス・クラーク先生のもと、それぞれ自己紹介を終えた。ドイツ人が一人いたが、その他は、みんなスコットランド人だった。

まず、準備体操と発声練習を兼ねたリズム遊びが始まった。みんなのノリが良い!楽しい!不安がいくらか薄らいだ。

そして、いよいよ、スコティッシュソング。黒板にはチョークで歌詞が書かれていた。ジャニスはその歌について説明してくれたが、残念ながら、生粋のアバディーンっ子である彼女の英語は、私には難解すぎた。ジャニスは説明を終えると、アカペラで歌い出した。
「こんな歌よ」
歌い終わって彼女は言った。
「私の後について歌って」
勝手がわからず、動揺している私の心などおかまいなしに、容赦なくレッスンは進んだ。ジャニスがアカペラでワンフレーズ歌い、みんなは黒板に書いてある歌詞を見ながら当たり前のようにジャニスの後について歌った。
「はい、じゃあもう一度」
ジャニスは同じフレーズをくり返し歌い、みんなはそれを真似した。伴奏も楽譜もない。それがケルト音楽の正式な教授法である「口伝(オーラルメソッド)」だということを、私はずいぶん後になって知った。

参ったことに、私は黒板に書いてある歌詞がほとんど読めなかった。英語のようだが、知らない単語が多い。知っているはずの単語も、発音が少々違う。 楽譜がないので譜割りもわからない。これはもう、聞こえてくる音を真似するしかないと腹をくくった。かつてこれほどまでに音に集中したことがあっただろう か。私は、ジャニスの口を見つめて耳をすまして、彼女の発音をそのまま真似し、カタカナでメモした。コーラス部分を紹介すると、黒板に書いてあった歌詞は これ。

Happy we've been a thegither, canty we've been yin and a
Time shall see us a mair blyther, ere we rise tae gang awa'

私のメモ書きはこんな感じ。

Happy we’ve ビンナー トゥギther カンティ we’ve ビンニイェンディダー
Time shall see us アーメアー ブライther エーウィ rise テ ガンガワ

勿論、意味などわからなかった。

今思えば、わからなくて当然。スコティッシュソングとは、スコットランド弁で歌われる民謡。私が最初に習ったのは、庶民の精神を歌ったトラディショ ナルなスコティッシュソング“IN FREENSHIP’S NAME”。格好良い歌だが、スコットランド弁が盛り沢山。決して、初心者向きではない。

そんな訳もわからないところに迷い込んでしまったところから、私のスコティッシュソングへのアプローチは始まった。