本書の作者Susan Leonard(以下スーザンと呼ばせてもらう)は、私が1978年初めてオークニーを訪れたとき泊まったB&Bの女主人の姪御さんである。 1999年7月に女主人から姪の娘が埼玉県に行くのでよろしくとの手紙をもらう。9月から埼玉県の高校で1年間assistant language teacherとしてくることになったのだ。その翌年の春、その両親、つまりス-ザン夫婦が娘に会いに来日し、そのとき拙宅を訪れた。それ以来11年間の 電子メールのお付き合いである。息子さんが一人おられたが、小さいころ交通事故で亡くされ、そのときの心境は、シギー少年が父親の交通事故を思い起こすと ころに投影されていると思う。女主人も2003年5月91歳の天寿を全うされ、今は亡き人である。

これを機縁にスーザンから、オークニー の地名の読み方やオークニーのことについていろいろと教えていただくようになった。『島に生まれ、島に歌う』をはじめ、あるば書房刊のG. M. ブラウンの訳書の「訳者あとがき」では、必ず彼女の夫ロナルドと彼女に謝意を表している。まず教わったのは島名の読み方だった。島名のほとんどが -(s)ayという語尾を持つ。これは古ノルド語で「島」を意味する。スーザンによれば、これを島外の人は「セイ」というが、土地の人は「シー(イー)」 という、地元の読み方が正しいのだからこういうべきであるという。スーザンの言葉に従ってそう表記することにした。Birsayはバーシー、Sanday はサンディーである。

少年物語を書いたから1冊送ったというメールをもらったのは一昨年のこと、そこではじめてスーザンが物語を書いてい ることを知る。 読んでみると、大好きな父親を交通事故で亡くした少年が、1年後に母親が再婚して新しい父親になじめず、初めは反感を抱いていたが徐々に受け入れていくと いう世界共通のテーマで、ユーモアとペーソスに富む。今までオークニーの質問でお世話になった恩返しの意味も含め、日本に紹介することにした。まず考えた ことは、シギーの親友Peteと泥炭のpeatの表記である。仮名で書けばどちらもピートで紛らわしい。peatを泥炭としようとも思ったが、古臭い感じ になるし、「たくさんのピートね、ピート」(34㌻)というメアリーの語呂合わせもあるので、最初に出てきたときにピート(泥炭)と注を入れ、あとは前後 関係で判断してもらうことにした。ピートが繰り返されて紛らわしい時は、Peteを少年ピートとか、友達のピートとして言葉を補った。それでも紛らわしい というコメントをいただいたので、うるさいくらいに区別できるようにしたほうがよかったのかもしれない。

またオークニーが背景となってい るので、わかりにくい部分もあるかと思う。農作業、ピートの切り出し、牧羊犬コンテストなどはスーザンに聞きながら訳したが、牧羊犬コンテストは詳しく書 いてあるので、説明だけではわかりにくい。房総のマザー牧場におうかがいしなければならないかと思ったが、ネットにくわしくでているので、それにお世話に なった。The Big End(the Secondary Departmentともよんでいる)が出てきて何のことか分からずうかがったら、小学校の後、2年間の義務教育があってそのクラスを言うとのこと。日本 に以前あった高等小学校のようなものであろう。小学校のクラスはthe Peedie Endで、物語ではこの2クラスの複式授業で、2クラスの人数をほぼ等しくするために、小学校の上のほうの学年が、the Big Endに移されることがよくあったという。この時、スコットランドの小学校は7年間ということを知る。日本の小学校6年間に幼児教育の年長組を付けた感じ である。長い注はつけないつもりでいたが、この教育制度と、シリングは今使われていないので貨幣制度について、少し長めの注をつけた。

スーザンの話では、シギーの大学時代の物語がクリスマス前に出るという。シギーがどのように成長しているか楽しみである。以上、バラッドに関係のない話で恐縮でした。読んでいただき感謝多々。 (2011. 8. 30)