アバディーン・レポート(3)  山﨑遼 (YAMASAKI Ryo; 立命館大学文学研究科英語圏文化専修博士課程後期2回生)

yamasakiのコヒー 2016年9月から2017年9月にかけて、立命館大学での博士課程を休学し、英国スコットランドのアバディーン大学エルフィンストーン研究所へ学位留学を行った(修士・民俗学)。今回の発表[日本バラッド協会第10回(2018)会合トーク「私とバラッド」]では留学に至った経緯、留学先の紹介、そして実際の生活の様子を紹介し、一年間の留学の総括を行った。
 私は学部および修士課程において英国伝承バラッドについて研究を行ってきた。だが文学研究の素養しかなかったため歌詞の分析しかできず、音楽やパフォーマンスといった歌の持つ他の側面を十分に論じられないことに歯がゆい思いをしてきた。そこで博士課程に進んだことを機に英国スコットランドのアバディーン大学への留学を決意した。この大学は英国で民俗学の学位が取得できる唯一の研究機関エルフィンストーン研究所(Elphinstone Institute)を有し、スコットランドの口頭伝承という私の研究分野に最も適合しているように思われた。
 スコットランド北東部に位置するアバディーンは、エディンバラ、グラスゴーに次ぐスコットランド第三の都市である。1495年、グラスゴー出身でパリ大学にて学んだアバディーン司教William Elphinstone (1431–1514) がその街にアバディーン大学を創設した。英語圏ではオックスフォード、ケンブリッジ、セントアンドリュース、グラスゴーに続いて5番目に古い大学である。そして1995年に大学創設500周年を記念して創設されたのが、民俗学・民俗音楽学の研究機関でありElphinstone司教の名を冠したエルフィンストーン研究所である。“Studying Culture in Context”(「文脈の中で文化を研究する」)というスローガンを掲げ、コンテクストとフィールドワークを重視した地域密着型の民俗学を展開している。主に口頭伝承研究や民俗音楽学を専門とする教員が中心だが、他のジャンルを教授する際には外部の教員を招き、民俗学を包括的かつ体系的に教えている。
 研究所は博士課程に加えて、TaughtとResearchという二種類の修士課程(MLitt)を用意している。Taughtは授業主体の一年間のプログラムで、Researchは授業が少なく個人の研究を優先的に行える。私の場合は民俗学をきちんと教わりたいと考えていたためTaughtを選択した。授業は週2回、朝10時からから夕方6時まであり、毎週数十冊の課題図書が課せられた。9月に始まった1学期では欧米民俗学の研究史、理論、方法論を体系的に教わった。プログラムの中には、地元の伝承者と一対一でインタビューを行う実技試験もあった。これは研究承諾書の説明、機器のセットアップを含めた実際のインタビューの様子を教員がチェックするというもので、研究倫理の理解、録音機器の使用、やりとり・質問の技術、そしてインタビュー後のデータ処理について細かく審査が行われた。机に座った研究しか知らなかった私にとっては慣れないことも多く、また日々の課題も多かったために苦労する部分も大きかったが、民俗学の歴史と現状を3ヶ月で理解できる非常に優れたプログラムであった。
 年明けから開始された2学期では現代の民俗学の事例研究を叩き込まれた。2つあるうちの一方の授業では民俗学の代表的なジャンルである口頭伝承について詳しく教わり、もう一方ではスコットランドという地域のフォークロアにまつわる事例研究を紹介された。1学期で学んだ研究史、理論、方法論を踏まえ、現在どのような研究が行われているのかを学べるように設計されていた。
 そして5月に2学期が終わると修士論文の指導が始まった。論文の分量は2万語で、フィールドワークをベースにすることが義務付けられていた。当初の構想ではアバディーン出身の語り部、歌い手、バグパイプ奏者、作家であるStanley Robertson (1940–2009) の口頭伝承について執筆しようと考えていた。だが研究を進めるうちに彼の著作に大きな価値を見出し、最終的に論文では彼の作家としての側面を論じることに決定した。このテーマはそれまで培ってきた文学研究と民俗学の手法を両方生かせるため、自分にしかできない研究のように思われた。1学期で基礎を身につけ2学期で膨大な量の事例研究に触れていたが故に自身の目指すべき研究は帰納的に理解しており、執筆自体はスムーズに進められた。もちろん、研究協力者と第二言語でラポールを形成することは非常に時間がかかり、何ヶ月もアプローチした挙句にインタビューを拒否されるという経験もあった。さらにインタビューを行うことができたとしても、第二言語で録音の逐語録を作成するのには膨大な時間がかかった。しかしながら、早めのスタートと地道な執筆により4ヶ月で論文を書き上げて提出し、9月上旬に帰国した。
 授業以外にも、研究所の教育課程にはフィールドスクールという興味深いイベントが存在する。研究所の教員、スタッフ、大学院生で一台のバンに乗り込み、数日かけてスコットランドの地方を巡るというものである。これはスコットランド各地を実際に訪れることで、その国の文化に対する理解を深める目的がある。また、いずれ修士論文執筆において必須となるフィールドワークの練習という位置付けでもある。9月に行われた一度目ではスコットランド北西部のハイランドへ、翌年3月の二度目ではイングランドとの国境地帯ボーダー地方へ赴いた。実際にハイランドとローランドを旅することで、スコットランド文化の多様性とフィールドワークの重要性を学ぶことができた。
 今回の留学を通しての一番の収穫は、民俗学という学問の基礎を一年間で習得できたことである。非常に体系的に組まれたカリキュラムにより、一年という限られた期間で民俗学の歴史と現状を確実に身につけ、その上で自ら成果を上げることができた。そして、フィールドスクールやフィールドワークベースの修士論文を執筆したことにより、フィールドに出ることや相手と対話しながら研究を行うことの重要性に気づき、研究所のスローガンである“Studying in Culture in Context”の真意を理解することができた。修士論文が高く評価されたことで優等学位(MLitt with Distinction)を取得できたことも今後の自信につながる大きな収穫であった。これまで磨いてきた文学研究のテクスト分析能力と今回学んだ民俗学のスキルを基盤に、今後も研究活動に邁進していきたいと考えている。(平成30年4月11日)