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Home 研究ノート エレン・カシュナー『吟遊詩人トーマス』(1991)における語りのパラドックス――第3回会合シンポジウムでの質問に答えて――

エレン・カシュナー『吟遊詩人トーマス』(1991)における語りのパラドックス――第3回会合シンポジウムでの質問に答えて――

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エレン・カシュナーの『吟遊詩人トーマス』(1991)は、「うたびとトーマス」などの複数の伝承バラッドを下敷きとしたファンタジー小説である。永遠の妖精界と対比することによって、人間の限りある生の尊さ、人間愛の持つ力を謳い上げている。プロットとしては、虚栄心とプライドから虚言を弄する癖のあるトーマスが、妖精界で7年間の沈黙を強いられることにより、「まことのトーマス」、つまり「嘘をつけない予言者」へと精神的成長を遂げるまでのプロセスを中心に描いており、主人公の言語に対する認識の深まりを描いた教養小説としても良くまとまっている。(プロットの分析については、「研究ノート」の「第3回会合シンポジウム報告」を参照。)

しかし一方で、この小説には終始なにか人工的な印象がつきまとっていることも否定できない。シンポジウムでも、何か取ってつけたような印象がするのはなぜだろうか、との疑問がフロアより出された。この点について検討した結果、筆者は次のような結論を得た。それは、この小説が醸し出す人工的な雰囲気は、小説に用いられているメタフィクション的手法と物語内容との間の矛盾から生じているというものである。

たとえばトーマスの父親的存在である農民ゲイヴィンの1人称の語りからなる第1章を見てみよう。語り手ゲイヴィンは事実とフィクションを織り交ぜて話すトーマスに対し、誠実さがないと批判する。そして、その批判はある程度的を射たものとして描出されている。だが一方で、ゲイヴィンの語り自体、ほとんど1文ごとに現在時制と過去時制の間を往き来するというものであり、彼は眼前の出来事をあたかもおとぎ話を語るかのように描写するのである。つまり、第1章の語りは物語内容の観点からは事実とフィクションを明白に区別すべきだというメッセージを発するが、その一方で、事実とフィクションとの境界の曖昧さというポストモダン的テーマを語りのレベルで実践しているのである。

第2章においても同様のことが生じている。プロット上では、「真実」の世界である妖精界において、トーマスは7年間の沈黙を強いられることを通じて「偉大なる真実」を獲得する(“From seven years of silence, your [Thomas’s] tongue has been bred to truth, and great truth”(Kushner, 166-7)。このことからも明らかなように、物語内容を貫いているのは、「真実」は言語では捉えきれないという認識だ。だが一方、第1章と同じく、第2章を語りの観点から見るならば、妖精界はフィクションがそのまま現実であるという点で文学テクストのアレゴリーであるということにすぐに気づくのである。そのような読みが成り立ち得ることは、第2章の冒頭の文章からも明らかである。第2章での1人称の語り手トーマスは次のように語り始める――“What songs do you sing to them in Elfland?  There, where all songs are true, and all stories history…  [….]  And I do not know whether their peace was real, or if it was only the illusion of fair Elfland, a game of the Elves, a work of art”(Kushner, 63)。

また、第2章の中で言語を超えた経験の最たるものは、トーマスと女王との間にかわされる愛の行為であるが、その描写に際して語り手トーマスは、隠喩を駆使した官能的な描写に頼らざるを得ない、つまり、言語を超えているはずの世界での言語を超えた経験を表現しようとすると、さらにいっそう修辞を凝らした言語表現を必要とするという矛盾が生じているわけである。結局のところ第2章の語りは、プロットによって提示されているテーマとは逆に、現実は言語によってしか把握できないという、ポストモダン思想に通じる言語観・世界観を体現していると言えるのだ。

このように、この小説の第1章と第2章は、語りとプロットの各々のレベルにおいて相互に矛盾するメッセージを発しているのである。この矛盾は解決されないまま、次の章へと持ちこされるが、第3章(語り手はトーマスの母親的存在のメグ)と第4章(語り手はトーマスの妻エルスペス)の語りにおいてはメタフィクションの要素は皆無であり、第1章と第2章において提示されたポストモダン的テーマは置き去りにされたままとなる。

物語のクライマックスを迎える第4章において、作者カシュナーは、「嘘をつけない予言者」たる「まことのトーマス」になった主人公と妻エルスペスの夫婦愛を描くことにより、限りある生を持つ人間存在の尊さを謳い上げる。確かにプロットはこのクライマックスに向けて進行していくのだが、読者が受ける印象は逆に後半から次第に平板なものになっていく。なぜなら、トーマスが言語および人間存在に対する理解を深め、その結果「偉大なる真実」を手に入れたと言っても、そのことが未来の出来事を予言するということをのみ指すというのであるならば、それはプロット上の解決にしかならないからだ。

近年、ポストモダン小説とファンタジー小説の親近性がとみに注目されるようになってきたが、ポストモダン的テーマを追求することなくメタフィクション等のポストモダン的手法を取り入れた場合には、逆にファンタジー小説としての力は弱まってしまう危険性を孕むこととなる。ファンタジー小説『吟遊詩人トーマス』はその証左となるだろう。

*本稿の作成にあたり、シンポジウムの席上で核心に触れる質問をくださった山中光義氏、宮原牧子氏に謝意を表する。

引用文献
Ellen Kushner, Thomas the Rhymer (London: Victor Gollancz, 1991)

 

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